私の今年の目標、それは慶應義塾におけるイントラプレナー(intrapreneur)として全力を尽くすことです。“Intrapreneur”をCambridge Dictionaryで調べると、“an employee within a large company who takes direct responsibility for turning an idea into profitable new product, service, business, etc. often instead of leaving to start their own company”とあります。よく知られたアントレプレナー(entrepreneur)は起業家ですが、イントラプレナーは自分が所属する企業の中で新しい事業を作り出す人ということになります。ただもう少し拡大解釈をして「イントラプレナーとは、自分の会社を内部から変革する人」と私は定義しています。自分が所属する機関の変革を促すためには相当な決心と労力が必要です。前提条件は、その機関の目的やミッションを理解して、やり甲斐を感じ、使命感を持つということです。この点において、福澤先生が遺した数々の著作や言行録は実に偉大で、現代においても慶應義塾の教職員、塾生、そして塾員を鼓舞し続けています。当然のことながら私も福澤先生に大いに鼓舞されている一人で、慶應義塾に愛着を感じ、全社会の先導者としての慶應義塾を発展させたい、そのために慶應義塾におけるイントラプレナーとして尽力したいと思うわけです。
ただ慶應義塾のイントラプレナーになるだけで満足してはいけません。私たち慶應義塾の人は、慶應義塾のイントラプレナーとして義塾を前進させ、そのうえで慶應義塾と自分自身を社会のインタープレナー(interpreneur)と位置付け、全社会の発展に寄与する必要があるということです。イントラネット(社内LANなどの社内のみの通信網)とインターネット(社会全体をつなぐ通信網)の違いをご存知の方は多いかと思います。それと同様で、イントラプレナーは組織を内部から変革する人を指し、インタープレナーは組織同士をつないで社会全体を変革して行く人を指します。この点において、福澤先生こそが近代日本における偉大なインタープレナーでした。
福澤先生は「学問のすゝめ 九編」においては、ある人が良い職に就き、家を構え、立派な家庭を築いたとしても、それだけでは国民として務めを果たしていないと断じています。そして十編の冒頭において「人たるものはただ一身一家の衣食を給し、もって自ら満足すべからず。人の天性にはなおこれよりも高き約束あるものなれば、人間交際の仲間に入り、その仲間たる身分をもって世のために勉むるところなかるべからず」と九編の内容をまとめています。先導者として社会において世の発展に努めよということです。
ここで注目すべきは「人間交際の仲間に入り」と記されていることです。「人間交際をして」という動詞ではありません。福澤先生は英語の「society」という名詞を「人間交際」と訳されました。(実は“じんかん”というルビは近年振られるようになったもので福澤先生が意識的に読み方を変えていたかはわからないのですが、ここでは敢えて、使うことにします) これはどういう意味でしょう?日本では旧来「世間」を大切にし、近所付き合い、すなわち、同じ村人同士といった同じサークル内での人付き合いや助け合いを重んじてきました。このようなインナーサークルでの人付き合いを、ここでは人間交際と呼ぶことにします。その一方で自分のサークル外の人付き合いは軽んじがちです。バーゲンセールで周りの人への遠慮など一切なく、我先と欲しいものを奪い合いながらも、取り合っている相手が知り合いだったとわかるや否や、どうぞどうぞと譲り合う。電車の席の取り合いでも、知らない人同士では競争しても、知っている人同士では急に譲り合う。福澤先生は、西洋社会において、この知らない人同士、異なるサークル、会社、地域などが法や倫理観に基づき上手に結びつき、文明社会が形成されていく様子を観察し、その結果として成り立つ良い社会を「人間交際」と訳されました。気心が知れた仲間での交際は人間交際(イントラアクション)で、知らないグループ同士が有機的に結びつき良い社会が形成されるsocietyを人間交際とおっしゃったのです。その上で、「世の中に最も大切なるものは人と人との交り付合なり。是即ち一の学問なり」(豊前豊後道普請の説)と述べ、「凡そ世に学問といい工業といい政治といい法律というも、皆人間交際のためにするものにて、人間の交際あらざれば何れも不用のものたるべし。…交際愈々広ければ人情愈々和らぎ、…戦争を起こすこと軽率ならず」(『学問のすゝめ』九編)と説いています。
以上の議論からわかるとおり、福澤先生は、自分が所属する世間やサークルを変えるという次元を一気に超えて、知らない村や町をつなぎ、文明的な社会、文明的な日本を作り上げようとされたインタープレナーだったということです。そのために、福澤先生は慶應義塾、時事新報、交詢社を作りあげられました。そして、『学問のすゝめ』といった数多くの著書や時事新報での発信をとおして、新しい文明社会を作るよう国民を鼓舞され、学問に励むよう広く呼びかけられました。
さて、異なる世間や組織同士が上手に付き合い、よりよい社会を作っていくことが学問の目的ということですが、人間関係はすべてが理屈通りに進むわけではありません。利害関係が一致する、社会の発展につながるといった論理的思考を学問的に示すことが学問の目的なのですが、どんなに理屈が通っても人間関係の好き嫌いで物事が片付くことがよくあります。福澤先生がsocietyを「社会」と単純に訳さなかったポイントはここにあるのではと私は勝手に推察しています。そこで必要となるのが、まさに人間力です。「気品の泉源」、すなわち、社中というインナーサークルだけではなく、その外の人からみても自然に協力したくなる気風を身につけるということです。
以上、今回はイントラプレナーという、おそらく皆さんにとって聞きなれない言葉に加えて、インタープレナーという概念も紹介しました。私たちは慶應義塾におけるイントラプレナーとなり、それにより慶應義塾という組織から全社会を変革するインタープレナーが次々と誕生することが目標です。結果として慶應義塾や社中もインタープレナーとしての任務を拡大していけます。並行して、私たちは気品の泉源を目指し、誰もが自然に協力してくれるような「気風」を身につける必要があります。
最後に誤解を招かないよう念の為。慶應義塾では起業家教育、アントレプレナーシップ教育と、研究成果の社会実装も強力に推進しています。あらゆる経済統計が示すとおり、既存企業の変革だけでは不十分で、新しい産業の誕生こそが経済発展の鍵です。慶應義塾のアントレプレナーがただの金儲けではなく、インタープレナーとして社会発展に寄与することを目指します。