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鈴木 真弥(すずき まや)
Other : 人間文化研究機構/東京外国語大学研究員塾員

鈴木 真弥(すずき まや)
Other : 人間文化研究機構/東京外国語大学研究員塾員
2019/11/05
画像:「デリーのメトロを待つ女性たち」(2014年3月19日、筆者撮影)
社会の変化をどう捉えるか
インドは1991年の経済自由化をおもな転機として、急激な経済発展と社会・文化変容を遂げている。
インドに対する国際社会のまなざしも大きく変わった。これまでは「貧困」や「差別」のイメージで語られることの多かったインドは、21世紀に入り、「急成長」や「新興市場」という新しいキーワードで注目され始めている。13億を超える人口規模と期待される経済成長の観点から、中国に対抗しうる新興大国として、国際政治・経済においても重要な位置を占めるようになった。実際には、好景気と称されてきたインド経済は浮き沈みがあり、政府が公表する経済成長率や雇用統計の信頼度をめぐって疑義も生じている。最新(2019年4〜6月期)の経済成長率は5.0%と低水準で、5四半紀連続で経済減速の傾向が指摘されている。2019年5月末に発足した第2次モディ政権が打ち出す景気対策の効果がいつ、どのようにあらわれるかは、世界的な景気後退が懸念されるなか、注視されている。
経済に加えて、外交分野でもインドは存在感を高めつつある。インドはソ連崩壊後の1990年代に外交政策を転換し、特定国との同盟関係を持たない、「全方位連携外交」とよばれる路線を志向してきた。主要国(米国、中国、ロシア、日本、EU)との戦略的連携関係を重視する点に特徴があり、日印間の外交、人的交流も活発化している。2012年には日印国交樹立60周年を迎え、2017年はモディ・インド首相と安倍首相との間で、日印友好交流の年とする合意が交わされた。政治・経済・外交・文化などの様々な分野における人的交流を拡大する方向性が確認された。
こうした動向は、メディア報道によって、日本にいる私たちにも伝えられる「変わるインド」の一部である。では、インド社会で起きている変化はどうか。それを捉えるためには、できるかぎり長期の現地調査が不可欠である。本稿においては、筆者が2000年代から行ってきた現地調査にもとづき、「見える/見えにくい変化」について考えてみたい。統計数値では捉えにくいインド社会の問題を示すのが本稿の目指すところである。
見える変化──都市部のインフラ、女性たち
まず目に見える変化として、とくに都市部の生活環境が挙げられよう。インドは経済成長の基礎要件となるインフラ整備を重要施策に掲げ、電力、情報通信網、道路、鉄道、地下鉄、上下水道などの大型事業を進めている。首都デリーにあるジャワーハルラール・ネルー大学院で筆者が留学を開始した2001年は、国中の至る所で建設工事が盛んにおこなわれており、まさに成長期、変動期のインドを体感する時期であった。1998年に国道開発計画が発表され、「黄金の四角形」とよばれる大都市ムンバイ、デリー、コルカタ、チェンナイを結ぶ全長5800キロメートルの道路が建設された(2012年に完成)。デリーからタージマハルのあるアグラまで、以前は急行列車で行くことが多かったが、道路状態が改善されたことにより、車の移動も可能になった(渋滞はひどいが)。空の状況も一変した。1994年に航空輸送の国内・国際路線が自由化されたことにより、多くの民間航空会社が参入した。会社間の競争により、サービスの質や価格が大幅に改善され、鉄道が地方への移動手段の大部分を占めていた状況に、飛行機利用が中間層以上のあいだで拡大した。
デリーに住んでいて、より身近に感じた変化はメトロ(地下鉄)の普及である。日本政府の開発援助の成功例として広く知られるデリーのメトロ建設は、1998年に開始され、2002年には最初の区間が開業した。以後も次々と新しい路線が開通し、現在も拡張工事が行われている。1日の利用者数は470万人と見積もられ、いまやデリー市民に欠かせない足となっている。輸送の効率化や自家用車の増加による渋滞緩和、環境保護の点だけでなく、治安・安全面において、とくに女性たちの生活を大きく変えた。物理的、また心理的にも、女性たちがより遠くへ行けるようになったのである。
メトロ導入以前の公共交通機関は、バスとオートリキシャとよばれる三輪タクシーが主体であった。バスは料金の安さから、学生や下層民の生活に不可欠であるが、乱暴な運転や渋滞で時間がかかること、そして女性乗客にとっては性的嫌がらせに遭うリスクが高いという問題がある。筆者自身も現地の友人たちから被害の経験を多く聞かされ、人の少ない路線や時間帯を利用しないように注意して行動していた。首都のデリーであっても、女性は友人や家族(とくに男性)と一緒に移動することが望ましいと一般に考えられていたように思う。こうした制約の緩和において、メトロの出現は女性の社会進出に大きな役割を果たした。より多くの女性たちが、「いつ、どこへ、何のために外出するか」ということを自分で決めることができるようになり、少し遠くの大学へ通い、働きに出ることを可能にした(車内の混雑増加という新たな問題も出てきてはいるが)。同時に、情報通信網の向上(インターネット、スマートフォン利用者の拡大)、新たな消費行動(外食、ショッピングモールの増加)が、女性たちのさらなる変化を後押ししていることは言うまでもない。日常の小さな意思決定の積み重ねは、人びとの社会に対する意識や考え方にも深く影響を与えていると考えられる。
見えにくい変化──トイレ事情
現モディ政権が前面に打ち出しているプロジェクトに、「クリーン・インディア」とよばれる環境キャンペーンがある。2014年10月に開始され、2019年10月のガーンディー生誕150周年記念までに、屋外での排泄慣行を撲滅させることなどを目標に掲げ、1億2千万戸へのトイレ設置や公衆トイレの整備・普及に取り組んでいる。2011年の国勢調査によれば、トイレを持たない世帯は全体で53.1%(2001年は63.6%)と半数を占めており、さらに地域差をみると、都市(18.6%)と農村(69.3%)で大きな格差が生じていることが分かる。農村部における野外排泄の問題は、日本でも公開されたインド映画『トイレ──ある愛の物語』(Toilet: Ek Prem Katha, 2017)を通じて知られるようになった。排泄物を不浄とするヒンドゥー教の伝統的な社会規範ゆえに家の中にトイレを作ることが敬遠され、野外排泄を余儀なくされている女性たちの困難な状況が描かれている。こうした問題が大々的に焦点化されたことは、モディ政権以前にはほぼみられなかったという点で、「クリーン・インディア」は評価されてよい。しかし、そのねらいは衛生改善を国内外の投資家にアピールすることや、ダリト(旧不可触民)の支持を取り込むための政治パフォーマンスにすぎないのではないか、という見方も否定できない。公衆衛生、さらにはインド社会の根本にかかわるカースト問題を克服するという視点が欠けているのである。
もうひとつのストーリー──カースト問題
ヒンドゥー教において、排泄物、廃棄物は不浄の最たるものと考えられ、それらとの接触が避けられない清掃、洗濯、動物の屍体処理の仕事はダリトに限られてきた。職業と身分意識は密接に関係しているのである。日本で公開されたインド映画『裁き』(Court, 2014)は、トイレ事情にかかわるもうひとつの悲劇を描いている。法廷劇を中心に展開されるが、前半に、「ある下水清掃人の死体が、ムンバイのマンホールの中で発見された」というエピソードがある(警察は「自殺」を主張)。インド社会で「下水清掃人」といえば、カースト最下層のダリト出身であることは明らかである。降雨量が増すモンスーン期(6〜9月)は、未整備の下水道から汚物を人力で清掃する多くの清掃人がマンホールのなかで命を落としていることは日本であまり知られていない。下水清掃人は日雇いで、防御マスクなどの十分な器具も与えられず、その労働環境は非常に過酷で不衛生である。人権侵害という観点からも廃止すべき職業として、1993年に禁止する法律が制定されているが、実際にはなくなっていない。過去10年間で1,800人近くの下水清掃人が作業中に窒息死しているというNGOの報告もある。社会問題として、ダリト出身の活動家たちによる下からの運動が海外の人権機関の資金援助を得て行われている。
社会が変化していく兆しは、このような周縁の問題を見つめるなかで見えてくることがある。人びとの意識のありようにも注目して、インド社会を理解する姿勢が求められるだろう。
※所属・職名等は本誌発刊当時のものです。