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[ステンドグラス] 慶應義塾の周年行事

2006/01/15 (「塾」2006年WINTER(No.249)掲載)
2008年、慶應義塾は創立150年を迎える。
今後10年にわたって展開される慶應義塾創立150年記念事業に向けて社中一同、気持ちを一つにして望んでいく一つのきっかけとして
過去の周年行事に義塾の先人たちがかけた思いを振り返ってみたい。

創立50年 1907(明治40)年

創立50年を記念して建てられた図書館と田中一貞初代館長
創立50年を記念して建てられた図書館と田中一貞初代館長
 1907(明治40)年4月21日、義塾関係者等3000名余りが三田山上に集い、創立50年記念式典が盛大に挙行された。夕刻にはカンテラ行列が三田キャンパスからスタートし、銀座・日本橋を経て日比谷で解散。
来会者には『慶應義塾五十年史』が頒布された。また、記念事業の一環として図書館(現在の三田キャンパス旧図書館)が建設され、1912(明治45)年4月に竣工。1969(昭和44)年に国の重要文化財に指定されたその赤煉瓦のゴシック式建築は、今日に至るまで義塾のシンボルとなっている。
 国際社会の中で日本は近代化に向かっていく過渡期にあったが、義塾においても創立50年は一つの区切りとなるものだった。制度、施設、そして教員・学生の研究活動においても、この頃を境としてさらなる充実を遂げていく。

⦆1906(明治39)年大学院設置。
1917(大正6)年大学部医学科開設。
1920(大正9)年には大学令による大学(文・経済・法・医の4学部により成る総合大学)となる。

創立75年 1932(昭和7)年

当日の三田正門前
当日の三田正門前
 1932(昭和7)年5月9日に記念式典が挙行された。塾生はカンテラ行列や展覧会を行い、夜には帝国ホテル宴会場において盛大な同窓会も開催。式典では、塾員の犬養毅内閣総理大臣が祝辞を述べたが、その後数日にして首相は「五・一五事件」の凶手に倒れる……。前年9月の満州事変、この年1月の上海事変などを経て、世情がきわめて緊迫し、時勢はいわゆる「暗い谷間」に向かって急速に傾斜していたのである。
 一方、関東大震災の復旧が一段落した義塾の直面する課題は、校地の拡大により、環境を整備することだった。林毅陸から小泉信三へと二代の塾長に引き継がれた日吉キャンパス建設事業は、最新の設備による校舎や運動施設が逐次完成。1934(昭和9)年春には第一校舎などが竣工し、大学予科1年の授業が開始された。

⦆この年は福澤諭吉生誕100年でもあり、その両方を記念して11月に盛大な祝賀会が開催された。

創立90年 1947(昭和22)年

天皇陛下行幸
天皇陛下行幸
 義塾は太平洋戦争によって甚大な被害を受けた。当時の潮田江次塾長は、創立90年を契機として、義塾の教育精神を義塾内外に広め、これによって復興の機運を盛り上げようと計画。1947(昭和22)年5月、三田キャンパスで盛大な創立90年記念式典が挙行された。戦火の跡も生々しい三田山上には、式典を挙げる建物もなく、焼け跡の広場にテント張りの式壇を設け、そこに私学としては初となる天皇陛下の行幸を仰いだ。当日、前年塾長代理を務めた高橋誠一郎が文部大臣として祝辞を述べ、陛下からは「福澤諭吉創業の精神を心として、日本再建の為」義塾の努力を期待する旨のお言葉を賜っている。記念式典において、今後10年間で戦前にまさる盛んな学塾に建て直そうと内外に呼びかけた潮田塾長は、数々の難事業と取り組み、三田・日吉・四谷(現「信濃町」)キャンパスをはじめ、戦前にほぼ匹敵する施設を復活させている。

⦆戦後の「6・3・3・4」の新学制実施に伴い、義塾においても1949(昭和24)年より、文・経済・法・工学部の4学部からなる新制大学が発足した。

創立100年 1958(昭和33)年

 1958(昭和33)年、慶應義塾は創立100年という大きな節目を迎えた。記念式典を盛大に挙行できるよう建設された日吉記念館だが、慶應義塾全関係者、全塾生が一堂に会す場所は求めようもないため3日間にわたって祝典が開催されることとなった。まず、11月8日に、国内外の大学、駐日外国大公使、福澤家等4600余名の関係者が参列し、天皇陛下をお迎えしての記念式典が開催された。この日のために作成された「慶應義塾創立100年記念祝典曲」でしめくくられるまでの1時間10分に渡る式典の模様は、テレビで実況放送された。翌11月9日は「塾員の日」とし、全国連合三田会(現在の慶應連合三田会)の主催による祝典を挙行。参加した塾員は1万名を超えた。そして記念式典の4日後の11月12日は「塾生の日」。全塾の学生、生徒、児童約5000名を相手に、当時の奥井復太郎塾長は「将来の慶應義塾を背負って立つものは、………皆さんが倶にその双肩にかけている」と式辞を述べ、義塾に学ぶことの誇りを強調し、いっそうの奮起を促した。
 記念式典以外にも、記念講演会、芸能祭、福澤諭吉展、観劇会といった、さまざまな記念行事が年間を通じて開催された。また「慶應義塾発祥の地記念碑」が建設され、4月23日(開校記念日)に除幕式が行われている。記念建設事業としては、前述の日吉記念館建設のほか、三田キャンパス南校舎・西校舎・中等部校舎、日吉キャンパス第四校舎、四谷(現信濃町)キャンパス医学部基礎医学第一校舎・第三校舎等など、次の100年への布石が築かれた。

⦆創立90年までは創立「○○年目」に記念式典を催してきたが、創立100年より「満年齢」をもって祝うこととなった。

創立125年 1983(昭和58)年

 1983(昭和58)年に慶應義塾創立125年、1984(昭和59)年に日吉開設50年、そして1985(昭和60)年に福澤先生生誕150年と、3カ年にわたり記念すべき年が続いた。創立125年記念式典は5月15日、日吉記念館にて開催され、参加者は約5500名。当時の石川忠雄塾長は式辞で「将来に向けて社会の期待に応え、学問を通じてわが国の発展に貢献しうる義塾でありつづけるためのいっそうの努力を誓う」旨を述べた。また、「慶應義塾創立100年記念祝典曲」に補筆された「慶應義塾祝典曲」が披露され、創立100年とは趣を変え、簡素ながらも気品にあふれた式典となった。また、陸上競技場フィールドでは大天幕を仮設して祝賀会が行われた。
 記念行事として、記念講演会、国際シンポジウム、高橋誠一郎コレクション浮世絵名作展、歌舞伎「福澤諭吉」上演等を開催。また、慶應義塾大学病院新棟をはじめ、日吉キャンパス新図書館・事務棟、高等学校教育棟、三田キャンパス大学院校舎、体育会山中山荘が、記念事業として建設されている。

⦆日吉開設50年記念式典は、1984(昭和59)年5月12日開催。福澤諭吉生誕150年記念式典は、1985(昭和60)年1月10日、三田キャンパス西校舎518番教室(現在の西校舎ホール)にて行われた

‥‥そして創立150年へ

 2005(平成17)年9月20日、帝国ホテルにて慶應義塾創立150年記念事業のキックオフが開催された。当日、安西祐一郎塾長、常任理事、200名を超す記念事業委員等が出席し、今後10年間にわたって、「未来への先導」をテーマに「独立の力と共生の力をもつ開かれた学塾」を基本コンセプトとして展開される記念事業の始動の日となった。
 慶應義塾創立150年記念事業は、これまでになかった新しい出発点を創るための事業、および自らの努力による教育・研究・医療の構造改革を通して新しい姿を創り出すための事業からなっており、10年にわたり21世紀を先導する義塾の役割をいっそう明確に示していく一大プロジェクトとなる。