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[慶應義塾豆百科] No.84 国宝・秋草文壺

国宝・秋草文壺
わが国の文化財についての法的規制は、戦前と戦後とではその取り組み方がたいぶ変わってきており、戦前は総括的に指定される傾向にあったが、戦後は文化財か保護管理は、国家的な重要課題として取り扱われるようになったため、その指定はかなり慎重なものとなった。その切っ掛けが昭和25年5月公布の「文化財保護法」である。

この新法により従来国宝や重要美術品に指定されていたものは、一旦ご破算となり改めて指定し直すこととなった。そのため、今までの国宝はすべて重要文化財となり、その中から新たに国宝が指定された訳であるが、そのうち陶磁器部門の新国宝指定の第1号は、慶應義塾所蔵の「秋草文壺」であった(現在は東京国立博物館に寄託されている)。

「秋草文壺」は昭和17年4月、日吉の近郊、川崎市南加瀬の白山古墳の後円部下方から出土した。壺の大きさは、高さ40.5センチ、口径17.6センチ、底径14.2センチの大型のもので、素地は灰白色の砂質の粘土で、これを紐巻き上げに成型してあり、ラッパロで肩の張った堂々たる形をしている。肩の部分には厚くオリーブ色の自然釉がかかり、これが胴に五条流れ落ちている。この壺をさらに特徴づけているのは頚と胴とに刻まれている文様であって、ススキやウリ、柳などの植物と、トンボや規矩文をへら描きによって、力強く流麗にえがいてあり、これがこの壺を秋草文の壺とよぶ由縁となっている。また文様とは別に、口辺部に「上」の文字が刻んであり、この壺が何か特別の目的で作られていることを示している。

この壺の焼かれた年代については、発見当時すでにその発掘遺跡は破壊されており、伴出の遺物や出土状態について調査出来なかったので壺自体の様式から判定すると、平安時代の末、12世紀のものとするのが、最も妥当な説のようである。

その産地についてはいくつかの説があり、瀬戸・常滑・信楽・丹波・越前・備前のいわゆる日本六古窯のうち、常滑焼に一番近似していると言われていたが、最近は渥美焼の代表作とする説もある。産地についての議論はともかくとして、この壺が日本陶磁史上きわめて貴重な遺品であることには間違いなく、これがいち早く新国宝に指定された所以である。

慶應義塾が所有する文化財のうち重要文化財に指定されているものには、考古学遺物以外では「三田演説館」「慶應義塾図書館」の建造物があり、古文書・書籍としては「相良家文書」「後鳥羽院御抄」「大かうさまくんきのうち」等がある。