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[慶應義塾豆百科] No.76 塾債

昭和40年1月に端を発した学費改正をめぐる大学紛争は、泥沼的な推移を辿ることなく、塾生大会の決議に基づき、学生自らの手で解決されたことは、注目されてよい出来事であったが、その解決に大きい手がかりを与えたのが、塾債の取扱をめぐってであった。当初の当局案では、一口10万円の塾債の応募を、入学の条件としていたのである。それを「塾長提案」の形で、「塾債応募は新入生入学の条件ではない。塾債は広く塾員有志、塾生父兄有志、並びに新入生父兄有志等に募ることとする」と大幅に改変したことは、事態を解決に向けさせる端緒となった。

ところでこの塾債発行に際し、金額を10万円とすること、期間は子弟の義塾在学中とすることに関しては、ほぼ異論はなかった。問題は利息をどうするかである。金を借りる以上、たとえ低利でもなにがしかの利息をつけるべきだとする意見と、義塾の学事の振興にと寄せられた折角の好意を素直に受けとめるためにも、無利息でもよいのではないか、そのかわり卒業時には確実に返済する慣行の確立こそが最も大切だとする主張との、2つの見解の対立であった。前者の場合、無利息では個人はともかくも、法人に依頼できないとする危惧が、塾内の経理担当者の間にあったようだ。結局は後者の意見に落ち着いたが、学費改定をめぐる大学紛争が、新聞にテレビに大々的に報道されたこと、またその幕引きの見事さも手伝い、塾債の応募が任意性となったにも拘わらず、むしろそれが幸いして、結果的には当初の予測をはるかに上回る成果につながったのであった。世のマスコミが「親孝行スト」と名づけたのもそのためであった。爾来今日、塾債応募の総額は常に80億円台を保ち(平成7年3月現在)、なお償還する一方入金についても漸増傾向にあって、その金融運用収益がどれほど義塾の学問教育の充実に役立っているかは測り知れないものがある。

もっともこの塾債募集には前例がある。関東大震災後の復興費として、当時の金で総額30万円の塾債を発行したのがそれである。大正12年11月のことであった。発行条件は一口50円、利息年5分(但し1年間無利息)、10年で返済(但し7年間据置)としたが、この時も目標額を上回る応募があったようだ。ただ利息の支払いと返済には予期せぬ齟齬もあったらしく、そんな苦い体験が昭和40年の時点での塾債発行には、貴重な教訓として役立ったこともたしかである。