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[慶應義塾豆百科] No.75 厚生女子学院

慶應義塾の看護教育を継承する看護医療学部(平成13(2001)年開設)
『慶應義塾大学医学部六十周年記念誌』によれば、医学部の創設を大正9年4月、本科開設の時に置いている。北里柴三郎を初代学部長に迎え、北里門下の俊秀を網羅した教授スタッフの充実は、創設当初から慶應医学の名声を極めて高いものとした。そのなかでいまひとつ北里の英断として伝えられているものに、本科開設に先立つ2年前の大正7年(1918)の時点で、看護婦養成所を設け、初代所長に北島多一を配したことである。将来の慶應医学を支えるものとして、優れた医師の育成もさることながら、それを扶ける有能な看護婦の養成も欠かせないとする北里の深慮に基づく措置であった。次いで大正11年には産婆養成所を併設、いずれも修業年限2年であったが、後に看護婦は2年6か月となった。両者共卒業生には無試験で一般看護婦及び産婆免許の資格が与えられた。その後も学則その他に多少の変更があったが、昭和20年に至りこの2つの養成所を合併、看護婦産婆養成所として新たな発足をみた。さらに戦後は、保健婦・助産婦・看護婦法の制定に伴い、新制高校卒業生を対象に、修業年限3か年の医学部附属厚生女子学院を、昭和25年に開設したのであった。現在も慶應病院に勤務している看護婦の大半はこの学院の卒業生である。この過去の歴史が示すように、慶應病院の診療体系のなかで、これら塾内で基本を身につけ、育った看護婦たちが、いかに大きな役割を果たし、高い声価の一翼を担ってきたかを忘れてはなるまい。一般に看護婦の勤務は極めて厳しい状況下に置かれている。そして患者の個個の病状の些細な変化にも、常に的確な対応を求められるポストでもある。従ってより高度な専門知識と技能が求められることはいうまでもない。幸い慶應の厚生女子学院の場合、そうした社会の要請にも十分応え得るだけの優れた資質をもった生徒に恵まれ、学科、実習ともに肌理こまかな育成がなされてきたことは、過去の実績が示している。だが間断なき技術の専門化、医療機器の飛躍的な進歩のなかで、看護婦の養成にも、新たな視点での対応が必要となってきたといってよい。そこで義塾としてもその創立125年記念事業の新病棟建設を機に、従来の学院を3年制の短期大学に改組して、医学部創設に際し、有能な看護婦の育成を不可欠だとした北里柴三郎の建学の理念をあらためて顧みることとなった。そして慶應義塾看護短期大学は昭和63年、学問として看護の研究と共に幅広い一般教養をより深く教育する目的を掲げて発足した。その後、平成13年には湘南藤沢キャンパスに看護医療学部が開設、それに伴い、看護短期大学は平成12年度入学者を最後に募集を打ち切っている。