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[慶應義塾豆百科] No.61 「独立自尊迎新世紀」

1900年の大晦日、第1回世紀送迎会が行われた
「独立自尊迎新世紀」とは、福澤先生の書かれた書幅の語である。これには「明治34年元旦」との添え書きがあるから、明治34年すなわち1901年の、まさに20世紀を迎えた新年に書かれたものである事がわかる。ということは、それから一か月後に先生は亡くなられたのであるから、これはおそらく絶筆となったものであろう。

ところで、ここに謳われている「独立自尊」はよく知られているように、慶應義塾の教育精神を表す言葉である。明治33年2月、福澤先生の命をうけた慶應義塾の長老数名が、先生の主義主張を「独立自尊」の四文字に集約して表現し、この言葉をキーワードとして編纂した道徳綱領、「修身要領」に使われた成語であって、これこそ、まさに慶應義塾の教育精神を簡潔明瞭に言いきったものと言えよう。

明治33年の大晦日、三田山上では塾生主催の世紀送迎会が開かれ、多彩な催し物があり新年を迎えると一斉に仕掛花火に火がともされ、華々しく新世紀の到来を祝った。そのとき先生は「独立自尊迎新世紀」の文字を大書して出席者に示したと言われている。

この「独立自尊迎新世紀」の文字は咄嵯の思いつきで簡単に出来上がったように思われがちであるが、実際はそうではなく、文章を書かれる時と同じ様に、先生は幾度も推敲を重ねられて、ようやく、この成語を得られたことが最近の調査で判明した。

それは福澤研究センターに保管されている福澤宗家の資料を整理中に発見されたのだが、先生の遺品のうち特に文字の認められた遺墨は、下書きや書き損じにいたるまですべて保管されていて、その中からこの成語の成立過程をしのばせる紙片が数葉発見されたのである。

まず初稿と思われるものは「独立自尊入廿世紀」の文字が3行書かれていて、その左側の分に「廿」と「世紀」の間に「新」の一字を挿入してある。その第二稿「独立自尊入廿新世紀」の「廿」と「新」とを逆転させた、第三稿「独立自尊入新廿世紀」というのがあり、さらにその第三稿の「入」の横に「迎」という文字を横に添えてみて「独立自尊迎新廿世紀」の成語を得ている。下書きはそこまでであるが、最終的には「廿」の文字が省略されて、今日見られるような口調の良い「独立自尊迎新世紀」という成語になったものと思われる。