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[慶應義塾豆百科] No.60 独立自尊

福澤諭吉遺墨「独立自尊」
「独立自尊」は慶應義塾の教育の基本である。

義塾の創立者である福澤先生は、生涯を通じて終始、一身の独立を論じ、一国の独立を念じ、志操はあくまでもこれを高く堅持し、いやしくも卑屈賎劣なことは寸毫(すんごう)といえども仮借しないところがあった。しかも、ただ口でいうだけでなく、常に身をもってそれを示された。

その福澤先生が、晩年に、小幡篤次郎以下数名の高弟たちに長子一太郎を加えて、義塾の主唱する道徳綱領の編纂を命じられた。明治33年(1900)2月11日に脱稿して、同月24日の第404回三田演説会で発表された29か条の「修身要領」がそれで、これこそは先生の右のような平素の主義主張を簡潔明瞭に集約したものなのであった。つまり、独立自尊の人たるべき真の在り方をまさに最も端的に説いたものといってよく、たとえば「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」(第2条)といったぐあいに、それが条を追ってしるされているのである。

それに、そもそも「独立自尊」なる成語もまた実は、この「修身要領」が発表されてのちに多く口にされるようになったのである。現に先生自身のそれまでに書かれたものにも特にこの四字を成語として使っている例は案外に少なく、明治23年8月29日付の『時事新報』の社説「尚商立国論」中に一度見られるほかは、同30年6月19日の第368回三田演説会で「人の独立自尊」と題して演説されたことがあり、あるいは同年10月24日付の『時事新報』に掲載された『福翁百余話』(八)「知徳の独立」のなかに「独立自尊の本心は百行の源泉にして、源泉滾(こん)々到らざる所なし」とある例が存するくらいにすぎない。

それはそれとして、もし先生の教えの根本を一言で言いあらわそうとすれば、この「独立自尊」の四字にまさることばはおそらく他には見あたるまい。先生の法名「大観院独立自尊居士」というのは前記の小幡の撰になるといわれるが、先生の人となりをまことに適切にいいあてたものといえよう。

なお、この「独立自尊」については、同名の二つの論著—鎌田栄吉による明治44年9月刊のものと、峯岸治三による昭和17年4月刊のものとがあることを付記しておく。