メインカラムの始まり

[慶應義塾豆百科] No.57 普通部

かつての普通部校舎(1901年竣工)
「普通部」とは学校法人慶應義塾が経営する学校の中の、学校教育法による1つの中学校の名称である。義塾には中学校がもう2校あり、そちらは中等部とよばれていて、これらは他の学校でも使われている普通の呼び名である。中学校の1つを何ゆえ「普通部」という特別の名称を用いているか。その理由は次のようなことによっている。

元来、この「普通」という用語を福澤先生はよく使われるようなありふれたとか、一般的という意味には使っておらず、例えば『学問のすゝめ』初編では「人間普通日用に近き実学」というふうに、文字通りあまねく行われる、共通という意味に使われている。すなわち、人間なら誰でもが身につけておかなければならない基本的な、普遍的な、という意味である。

ところで慶應義塾の歴史のなかで、普通部という名称が初めて現われるのは明治23年(1890)、私学として初めて専門学を教授する総合大学として「大学部」が設けられたときである。このとき新たに設けた専門課程は従来の課程の上に別個に設置されたもので、会計も別だてになっていた。そのとき従来の課程を新設の「大学部」に対して「普通部」とよぶことにした。これを今日流の表現にすれば、専門課程と教養課程にあたるかもしれない。しかし当時は、従来の課程の卒業をもって慶應義塾卒業としていたから、この普通部課程の卒業が慶應義塾の卒業生として世間一般に普通に通用していたのである。

この普通部の課程こそ、英文読解をすべての基礎とし、人文科学、社会科学の分野にまで及ぶ総合的な判断力を養い、その幅広い教養を実社会に活用させるという、慶應義塾教育の基本的形態そのものなのである。大学部が設置された以後もその傾向は変わっていない。

普通部が中学校令による尋常中学に近い課程に移行したのは、『社中之約束』によると明治29年10月以降30年4月以前のことで、このとき高等科、普通科という名称が見られる。この普通科が31年(1898)義塾全体の学制改革によって、小学校から大学までの今日みられるような一貫教育体制がとられたとき、普通学科と改称して大学と小学校との中間の中学課程となったのである。普通学科が普通部と再び旧称に戻ったのは翌年7月のことであるが、現在の所謂新制中学である普通部は、その創立の起源を明治31年5月としている。

(注)義塾では生徒の個性の伸長を継続的、発展的に図ることを目指す新しい学校、中学校と高等学校を統合した中等教育6年間の一貫教育を実施する新しいタイプの学校として、「湘南藤沢中等部・高等部」を平成4年4月に開校した。

福澤諭吉による創立以来受け継がれてきた、進取の精神に富む、世界に開かれた私学としての伝統のもと、21世紀の国際舞台をリードする優秀な人材の養成をめざし、慶應義塾ニューヨーク学院が平成6年(1990)に開校した。