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[慶應義塾豆百科] No.37 「道聴途説」

慶應義塾では義塾全体の事務を統括する部署を塾監局といっているが、またこれはその事務局が入っている建物の名称にも使われている。この塾監局に福澤先生の発案で、1冊の帳面が置かれた。それは明治12年(1879)のことであった。この帳面は、最近名所旧跡等観光客の多いところや、宿泊施設のペンション・民宿等に多く見られる「落書き帳」もしくは「思い出帳」の類であって、先生自筆の序文によると、「筆記スル者ハ社中ノ教師生徒二論ナク或外来ノ客友ニテモ此室ニ入ル者ハ勝手次第ニ其見聞シタル事ヲ記録ス可シ」とある。要するに塾監局に現われた人なら誰でも、事の真偽はとも角、気付いたこと、耳にしたことを自由に気ままに書きしるすことのできるノートであった。その目的は「世ノ中ノ人事ハ往々無用中ニ有用ヲ生スル少ナシトセズ」というもので、世間の人事一般は所詮無用に属するものが多いのであるが、一見無駄に見えるものの内に、かえって他日大いに役に立つ有益な要素があるのだ、という先生一流の教訓が含まれているものだった。

ところで、この帳面は「道聴途説(どうちょうとせつ)」と表題をつけられた。「道聴途説」とは、道で聞きかじったことを、すぐ知ったかぶりをして、道で逢った他人にうけうりをして話す、ということで、「論語」陽貨篇に出てくる有名な熟語である。「論語」では「道聴塗説」とあって表題とは異なるが、塗と途は同音同義で、いずれも「小道」を意味するから「道聴途説」でも意味は同じである。しかし「論語」ではこれに続けて「徳を之れ棄つる也」とあるから、人から折角いい話を聞いても、それをすぐ道で逢った人に話してそのまま忘れてしまうのは、「荀子」にいう「口耳之学」に通じる言葉で、精神の種とならず、みずから徳を棄てるようなものだ、という戒めがついている。

福澤先生は中国の古典を利用し警抜な譬喩を数多く作られた方であったが、孔子が徳を棄てるようなことだとした行為を、むしろ無用に見える巷間の噂も、いつの日かこれが有用に転ずることがあると、現代的な解釈を施しているのである。

この「道聴途説」は、はじめの2、3日は先生みずから模範を示して記入してあり、それには塾内外の教職員・塾生の行動が活写されていて興味はつきない。この帳面は長く続かなかったが、文書による交流を人間交際の一要素としているのは斬新である。