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[慶應義塾豆百科] No.31 三田演説館

平成9(1997)年に修復された三田演説館
三田演説館は日本最初の演説会堂である。福澤先生の建造にかかり、開館は明治8年5月1日。当初は現在の図書館(旧館)と塾監局との中間辺に位していたが、大正13年、現在地—三田構内南西の小丘稲荷山上に移築され、さらに昭和22年5月修復がほどこされて、同40年には開館以来まさに90年を閲し、10月22、23両日にわたって記念の行事が行われた。しかも、この間、大正4年東京府からはやくも史蹟に指定され、また昭和35年3月には東京都重宝(建造物)の指定をうけ、さらに同42年6月には重要文化財に指定されている。

演説といえばいまでこそ知らぬ者はいないけれども、わが国で初めてそれが試みられたのは実に明冶6年のことで福澤先生を中心に門下生数名が西洋のスピーチ(演説)、ディベート(討論)の法を研究して創始したものである。そして、翌7年6月第1回の演説会を開き、ついで建てられたのがこの演説会堂であった。構えは木造瓦葺、洋風、なまこ壁で、床面積58坪余(192.16平方メートル)で、一部2階建で総坪数は付属建物合わせて87.9坪余(290.34平方メートル)になる。聴衆400、500名を容れるに足り、ちようどそのころアメリカにいっていた富田鉄之助に依頼して種々の会堂の図面をとりよせ、それを参考に二千数百円を投じて造られたという。

後年、福澤先生はこれにつき、「其規模こそ小なれ、日本開闢以来最第一着の建築、国民の記憶に存す可きものにして、幸に無事に保存することを得ば、後五百年、一種の古跡として見物する人もある可し」(「福澤全集緒言」)といっておられるが、あえて五百年といわず、今日すでに立派な名所となって、見学者も少なくない。ことに、近年しきりに明治建築の保存がさけばれているとき、この建物はその意味においてもはなはだ貴重といわなければなるまい。三田演説館はひとり慶應義塾にとってのみならず、日本の誇るべき文化財の1つである。

なおこの建物は平成7年12月より1年4か月かけて解体修復が施され、平成9年4月に完成した。