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[慶應義塾豆百科] No.19 「入塾ノ人ニ告文」

慶應義塾は「独立自尊」の人を育成することを教育の基本姿勢としているから、学生・生徒は自らの言動には自らが責任をもつことが要求されており、学校が細々した規則を作って、それを強制するというようなことは一切していない。この傾向は受け継がるべき美俗として、塾風の一要素を形成しているものである。

しかしこの誇るべき伝統は、創立の当初から自然に形成されたものではなく、幕末期のいわゆる福澤塾時代は、他の学塾と同様に起居眠食は乱暴を極めていた。それが慶應4年に慶應義塾と名乗ってからは、塾生の基本的な生活態度に充分意を配るようになり、明治4年塾舎を芝新銭座から現在の三田の地に移して以来、多くの規律を定めてこれを厳正に励行せしめた結果であった。

その詳細は同年発行された『慶應義塾社中之約束』にふれられているが、それとは別に新たに義塾の社中となり(即ち入社し)、寄宿舎に入った(即ち入塾した)者のためにかかれた「入塾ノ人二告文」という文章があって、これは『社中之約束』よりも具体的な、寄宿舎生活の案内が書いてある。今日流に言えば『塾生案内』の明治初年版と言うべき内容であるが、これには意外に鋭い内容の箇条があるので、その二、三の条文を掲げてみよう。

一、塾ハ唯書物ヲ読ムノミノ場所ニアラズ、勉テ善キ習風ヲ成立スル為ノ地位ト知ルベシ。又世俗ノ如キ附合等ノコトハ一切ナキ筈ナリ。万一多人数ノ中ナレバ自暴自棄、或ハ窃二惑誘(マヨハシサソウ)スルコトアルモ、之レヲ顧ミス自己ヲ慎ミ気ヲ慥ニ保ツヘキナリ。
 一、飯ノ喰様、大小便ノ仕様、下駄傘ノ据(ヲキ)様、夜着蒲団衣服ノ始末ヨリ都テ些細ノ事二至ル迄テ卒忽ナク能ク心附クベキナリ。
 一、袒裼(ハダヲヌグ)、及吟詠等ノ醜態(ミニクキアリサマ)及喧(ヤカマシ)キコトハ為スベカラス。

この他、集団生活を継続させるための基本的な約束ごとが数多くあげられており、これは一見禅寺の修行のようにも思えるが、総じてこれらの規則の原則は、他人への思い遣り、配慮にあることがわかる。そしてこれらの規則の最後には「如何二些末ノコトニモセヨ塾寮中ノ事ニ付知レザルコト、疑シキコト、不都合、不自由、不満足等ノ事アラバ、包ミ隠サズ遠慮ナク即時ニ寮長ニ語リ聞キ質スベキナリ」とあって、規則は強制ではなく、自らが理解し納得して自主的に守る、すなわち約束であることを示している。