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[慶應義塾豆百科] No.18 君(くん)

慶應義塾では、先生というのは創立者たる福澤諭吉先生ひとりに限り、他の教職員はすべて「君(くん)」づけで呼ぶならわしがある。

たとえば、教務の掲示板などにも「○○君休講」というような貼り紙が見うけられ、新入生諸君にはいささか異様な感じをいだかせるらしい。しかし、それはなにも休講の掲示だけのことではなく、義塾の文書や記録にしるされる敬称にはしばしばこの「君(くん)」が使われているのである。しかも、このことは思うに、義塾のなりたちとその伝統をよく伝えている一つの事例といっていいであろう。

義塾はもともと福澤先生ひとりを先生として発足した。そして、その門下生のなかから新しい先生が次第に育ってきた。つまり、福澤先生以外の先生たちはみなひとしくかつては福澤先生のお弟子さんなのであった。のみならず、明治初年のころまでは半学半教といって、学業の上達した者は一方では下級のものを教えながら、他方ではさらに一段上級のものに学ぶというしくみがあって、一面で先生であるものが他面では生徒でもあったわけで、要するに真に先生であるのは福澤先生だけであったことになる。

したがって、福澤先生からすればどの教職員もことごとくが門下生であって、孫弟子なり、その又弟子なりにしてからが、その点ではたとえ塾生とてもまったく一視同仁といわなければならない。すなわち、そういう成り立ちがそのまま全教職員、いな全社中おしなべて、その敬称を「君(くん)」づけに統一させる基盤となっているものといえよう。

ただ、こんにち「君(くん)」というと、とかく目下のものに対することばのようにとられがちであるが、国会あたりでも現に議員を「君(くん)」づけで呼んでおり、ある地方の高等学校では、上級生に向かって「君(くん)」づけに呼ぶきまりがあったということを読んだこともある。

「君(くん)」はもとより尊称であって、むしろ特異なふしがありとすればそれは地位とか、先輩後輩とかにかかわりなく、一律に「君(くん)」づけで呼んでいるところに義塾の特色がうかがわれるのである。