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[慶應義塾豆百科] No.11 塾長

「慶應義塾仮憲法」制定以前の初代塾長の岡本周吉
慶應義塾の最高の責任者を「塾長」と呼ぶ。現行の『慶應義塾規約』によれば、「(1)塾長は慶應義塾の理事長とし、慶應義塾大学学長を兼ねる。ただし、塾長が学長を辞任した時は、別に大学に於てこれを選任する。」とその地位が規定され、また、職務権限については「(2)塾長は、この規約並びに理事会及び評議員会決議に基き、一切の塾務を総理し、且つ塾務全般につき慶應義塾を代表する。」とあって、任期は4年となっている。

しかし、もとより、このような規約なり規則なりが、義塾140有余年の歴史のはじめから整っていたわけではない。明治16年4月に福澤先生みずから執筆された『慶應義塾紀事』のなかに、「安政5年ヨリ文久2年ノ終二至ルマデ4ケ年余ノ間ハ……僅二一小家塾ニシテ事ノ記ス可キモノモナク且塾ノ記録サヘ詳ナラザレバ一切ノ紀事ハ文久3年正月ヨリ起テ」云々とあるごとく、開塾当初の4年あまりは記録らしい記録さえなにひとつなかった。

のみならず、右の文久3年正月以降にしても、現存の記録はわずかに入門者の姓名録(『慶應義塾入社帳』)ぐらいのもので、塾の規則のようなものが多少ともつくられるにいたったのは、むしろ慶應4年の義塾命名のころからといってよい。塾長についても、明治2年8月の『慶應義塾新議』中に「当番の塾長」ということばの見られるのがおそらく記録の上では最初ではあるまいか。しかも、この塾長についてのもっとはっきりした規定が成文化されたのは、実に開塾から四半世紀もたった後、明治14年1月制定の「慶應義塾仮憲法」以後のことで、それには次のように記されている。

一、理事委員の協議を以て、現任教員中より一名を選び、之を慶應義塾々長とす。
一、教員、役員を定むるは、社頭、塾長の協議に任ず可し。

およそ簡略なものではあるが、それでも塾長の選任方法、任務などが一応これで確立され、それが幾度かの改訂を経てこんにちにいたったわけで、このとき以降の塾長に関しては、その就退任も職務権限や任期の変遷もたどることができる。

ただ、これ以前の塾長のことはいかにもあいまいで、実際には開塾当初からすでに、塾生の首長を塾頭または塾長と呼んでいたらしく、少なくとも最初の塾長は開塾のときに福澤先生が大阪から伴ってきた適塾同門の後輩岡本周吉(岡本節蔵)とされ、その後、右の仮憲法にもとづく選任までに、12名までが明確になっているが、それらの就退任について等々まだ不詳の点が多く残っている。

そんなわけで、今の塾長は何代目にあたるかということになると、簡単には答えられないのであるが、これも本塾のような古い学校としてはやむを得ないことといえよう。 ※このページは、『慶應義塾豆百科』(1996年3月,慶應義塾編、現在三田キャンパス塾監局1F広報室窓口にて販売中(税込1080円))を元に作成されたものです。なお、『慶應義塾豆百科』は、1960年代より慶應義塾教職員を中心に順次まとめられていた義塾に関する豆知識的な資料を1冊に集約したものです。情報の古い部分や別解釈等存在する部分もありますが、義塾に関する基礎情報の一つの形として、気軽にお読みください。