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[慶應義塾豆百科] No.10 ウェーランド経済書講述記念日

「福澤諭吉ウェーランド講述の図」(画 安田靫彦)
『百年史』付録に「慶應義塾年表」が収録されているが、その昭和31年5月15日の項を見ると「<福澤先生ウェーランド経済書講述記念日>制定。慶應4年のこの日、福澤が彰義隊の戦いをよそにウェーランド経済書の講義をつづけた故事をしのび、毎年この日に記念講演または行事を行うこととす」とある。

ここにある慶應4年という年は、義塾の本拠を築地鉄砲洲から芝新銭座へと移し、時の年号をとり正式に慶應義塾という名をつけた年でもあった。安政5年の創立から数えて丁度10年目の出来事である。この移転によって、校舎も一応整備され、さらに『慶應義塾之記』と題する新たな教育宣言を発するなど、清新の気は塾内外に溢れていた。5月15日の上野彰義隊の戦いを迎えたのはこうした時期であった。

その日は江戸市中は混乱のさなかにあり、「芝居も寄席も見世物も料理茶屋もみな休んでしまって、八百八町は真の闇(やみ)、何が何やらわからないほど」であったと『福翁自伝』は伝えている。もちろん授業をしている学校などあろう筈はなかった。けれどもそのなかで福澤先生はいつもと変わらず土曜日の日課であるウェーランド経済書(Francis Wayland: The elements of political economy,1866)の講義を続けたのであった。そして先生は、世の中にいかなる変動があっても、慶應義塾の存する限り、わが国の学問の命脈は絶えることはないのだと塾生を励まし、それを大きな誇りとされたのであった。

5月15日を特に義塾の記念日と定めたのも、学問教育の尊重を他の何ものよりも優先させた福澤先生の精神を義塾の伝統として長く伝えたいとする趣旨から出たものである。

なお義塾の所蔵する文化財の一つとして、この故事に因み、遠く上野に砲煙の立ちのぼるのを望見しながら、塾生たちを前に、福澤先生がウェーランド経済書の講義を続けられているのを描いた安田靫彦画伯の日本画の半折がある。この絵は安田画伯のきわめて初期の作品で、義塾創立100年を記念して、水上嘉一郎より義塾に寄贈されたものである。またこの日のことは、前記『福翁自伝』をはじめ、明治11年起草の「私塾維持之為資本拝借之願」や明治16年起草の『慶應義塾紀事』に記されている。