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[慶應義塾豆百科] No.64 維持会の役割

創立125年の記念事業に要する経費は総額180億円と見込んで、当初は其のうち150億は寄付に頼ろうと目標額を設定した。幸い順調な募金経過を見せ、目標額を大きく上廻る193億円という金額に達した。慶應なればこその成果ともいえるが、大規模な事業を行う場合、その財源を卒業生を中心とする大方の支援に求めるのは、過去幾多の実例の示すところである。前に紹介した「慶應義塾維持法案」も明治11、2年の財政的危機の克服を意図したものであった。そのことは、明治23年1月の大学部発足のときとか、30年8月の基本金設置のための募金など、いずれもその時々の要請に応えての対策であった。けれども私学が、研究・教育の充実を優先する限りにおいて、ともすれば経常収支になにがしかの赤字を出すことは、ある意味では避けがたい宿命ともいえる。ただ問題は学園といえども経営体である以上、赤字を赤字のまま放置することは許されない。したがって何等かの恒久的な形でその赤字を補填する道を講ずるほかはない。

明治34年2月3日、福澤先生の逝去に伴い、義塾社中の心ある人々の考えたのは、まずそのことであった。逝去後2月22日に開かれた義塾評議員会でも真剣に討議され、その結果生まれたのが「慶應義塾維持会」の組織化であった。発足時の年会費は金6円(一口)で、主として義塾の卒業生を対象に呼びかけたが、設立後ほぼ10年を経た明治43年には、加入者3793名、口数にして5388口を数え、義塾財政の基盤の確立に、大きく資するものとなった。爾来すでに大正、昭和、平成と永き歳月を重ねたが、その間時勢の推移とともに、醵金額その他に変遷を見せながらも、連綿として今に引き継がれている。よく現在の維持会の発端を、前項に触れた「維持法案」の制定に求める人がいるが、前述のようにそれとは性格を異にするもので、やはり34年を端緒とするのが正しい。

ともあれ慶應義塾は、「義塾」の名が示すように、その命名の時から、これを福澤個人の私有物としてではなく、社中共有の、いわばコーポレーションの共同責任において、維持し運営されるべきことを明らかにしたのであった。維持会の組織化も、その建学の理念を具体化したものといえよう。ちなみに現在(平成7年)の年会費は1万円(一口)で加入者数は3万2000人に及び、またこれとは別に終身会員制度も発足し、こちらもその数が月毎に増加しつつある。