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[ステンドグラス] ロンドンにおける福澤諭吉の足跡

2000/12/20 (「塾」2000年WINTER(No.227)掲載)
1861年12月、福澤は文久遣欧使節団の一員として、イギリスの軍艦オーヂン号で出発。
フランス、イギリス、オランダ、ロシアなど6カ国を半年かけて巡り、旺盛に各国の制度や文物、技術などの視察を行った。
今回はその中からイギリス、ロンドンにおける福澤の足跡をたどってみる。
 学生総合センター「大学生活懇談会」が主催する2000年度の海外見学会は、遣欧使節として福澤が来訪した土地や史跡を訪ね、当時に思いを馳せるツアー。9月11日(月)から20日(水)まで、10日間の日程で開催された。ロンドンとバーミンガムに遣欧使節の足跡をたどり、ケンブリッジや義塾の研修施設があるベリー・セント・エドマンズも訪間した。
 参加者はほぼ全ての学部から集まった22名。藪下聡理工学部助教授の引率のもと、講師として福澤の事跡に造詣の深い大澤輝嘉中等部教論が同行。また、現地に留学の教員2名も急速一行に合流し、講師を務めた。
 ロンドンではセントポール寺院、大英博物館をはじめとする多くの名所旧跡を訪問。当時そのままに保存されている建造物も多く、学生たちは130余年前に福澤が見た光景を目の当たりにすることができた。ここでは、1862年5月5日から6月11日までのロンドン滞在中に福澤が訪れた4カ所を本人の記録を交えて紹介する。

- グリニッジ天文台

グリニッジ世界標準時(GMT)の基準となった旧天文台の建物
グリニッジ世界標準時(GMT)の基準となった旧天文台の建物
 1862年5月15日、福澤はグリニッジにある王立天文台と王立海軍学校などを訪ね、当時、大海軍国家だった英国の海軍学校制度や最新の軍事技術などを見聞した。「グリーンウヰチュの天文台及び海軍局を観る。(中略)此所に海軍学校及び老年の海軍士官水夫を養ふ官舎あり。(中略)学校及び老士官水夫を養ふ費用は、往時より外国と戦ひ勝とき敵より奪取りたる物を売り、又士卒の分取りしたる物は其物の価百分の五を政府に 納るを法とし、此金漸く増加して当今は其利息を以て足れりと云。…(西航記)」天文台は1958年にサセックス州へーストモンソウに移転。旧天文台の建物は、福澤来訪時のまま残されており、現在は海軍博物館の一部となっている。

- 帝国戦争博物館

帝国戦争博物館外観
帝国戦争博物館外観
旧病室(現在は事務室)
旧病室(現在は事務室)
 5月20日訪問。現在、帝国戦争博物館として知られる建物は、福澤来訪時には「Bethlem Hospital」という精神病院だった。20世紀初頭に病院はロンドン南郊のクロイドンに移転したが建物はほぼ当時のまま残されている。まだ日本には精神病院など存在しない時代であり、福澤は病院の様子をかなり事細かに書き残している。
 「患者一人毎に一室を与へ、昼間は室より出し、院内を歩行し、或いは園に遊で花を採り、或いは院の楼上に歌舞し、鞠を玩び、或いは絵を画く者あり、或いは音楽する者あり…(西航記)」
 なお、福澤はロンドン以外でも医療機関を精力的に来訪しており、西欧の医療制度への多大な関心がうかがわれる。

- テムズトンネル

 「都の中程にテイムズといふ大河あり。其巾は江戸の隅田川と同じ位なれども、隅田川よりも深し・・・(条約十一国記)」
 1825年から45年まで、20年の歳月をかけて建造された世界初のシールド工法によるトンネル。福澤は5月15日に初めて見た後、6月11日に再び訪れている。英国の進んだ土木技術は福澤を驚嘆させたが、近年、日本のゼネコン企業がテムズ川に最新技術を駆使したトンネルを掘っている。これもまた、歴史の面白さといえよう。
 今世紀初頭より、トンネルには地下鉄イーストロンドン線が走っているが、福澤来訪時には人馬の通行に利用されていた。地下鉄通路の煉瓦壁の一部は、福澤が見たそのままの状態で残されている。
地下鉄通路にあるトンネルの由来を示す銘板
地下鉄通路にあるトンネルの由来を示す銘板
地下鉄「ワッピング」駅
地下鉄「ワッピング」駅

- クリスタルパレス

 5月14日、福澤は、ロンドンで開催されていた「第四回万国博覧会」会場に足を運んでいる。西欧における最先端の文化やテクノロジが集結する一大イベントである万国博覧会は、福澤ら遣欧使節団にとって、まさに新しい文明に目を開かれる思いを味わったに違いない。10日後の5月24日には、クリスタルパレス一水晶宮)を訪問。これは1851年に開催の「第一回万国博覧会」会場をロンドン南郊シドナムに移設した施設。福澤が見た総ガラス張りの壮麗な建物は、936年火災により焼失した。現在、土台部などいくつかの遺構が残されており、往事をしのぶ博物館が建てられている。
今回学生たちが訪れた遺構
今回学生たちが訪れた遺構
福澤が目にした「水晶宮」の外観
福澤が目にした「水晶宮」の外観

ベリー・セント・エドマンズ

ベリー・セント・エドマンズにある慶應義塾の研修施設
 海外見学会一行は、バーミンガム、ケンブリッジと移動した後、9月14~15日にベリー・セント・エドマンズにある慶應義塾の研修施設に滞在。施設を拠点に中世の街並みが色濃く残るラベナムなどイーストアングリアの町々を巡り、英国の歴史と文化に触れた。
 ベリー・セント・エドマンズのあるイーストアングリア地方はロンドンの北東部、北海に向かって突き出した地域。日本人にとってなじみが薄いが、英国史にとってきわめて重要な土地といえる。かつてこの地域の中心地であったベリー・セント・エドマンズにはマグナカルタが創案された修道院遺跡などが残る。