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[特集] 戦中、戦後の義塾をめぐって(2)

 
2016/02/01  慶應義塾

(「塾」2016年WINTER(No.289)掲載、特集「戦中、戦後の義塾をめぐって」より)

[特集] 戦中、戦後の義塾をめぐって(1)

戦災によるキャンパスの被災と復興

今も残る日吉地下壕

連合艦隊司令部地下壕・作戦室
▲連合艦隊司令部地下壕・作戦室
日吉キャンパスの一角に、戦争の名残と言うべき地下壕がある。ここには海軍の連合艦隊司令部が置かれていた。本来、連合艦隊の司令部は戦艦「武蔵」や「大和」など洋上の旗艦内に置かれていたが、司令部を置くに足る艦船の多くが失われ、陸上に移さざるを得なくなった。そこで移転先に選ばれたのが、高台で無線通信環境がよく、学徒出陣で塾生が減り、校舎が空いていた日吉キャンパスだった。

1944(昭和19)年3月、文部省の指示で第一校舎、寄宿舎などを海軍に貸す契約が結ばれ、9月には連合艦隊司令部が日吉に移り、空襲に備えてまむし谷から寄宿舎付近にかけて地下壕が掘られた。今の地下壕は、幅2.5mほどの通路が延々と続くトンネルだが、かつては司令長官室、作戦室、電信室などがあり、空襲時には地上にいる司令長官や幕僚もここに入って、作戦の立案、指揮がされた。特攻機は突入時にモールス信号を出し、地下壕の電信室で受信するその信号が途切れたときが特攻隊員の最期を意味した。現在、地下壕は原則非公開となっており、立ち入りはできないが、教養研究センター実験授業「日吉学」等で学生の見学が実施されている。

キャンパスには甚大な空襲被害

戦争末期の1945年、米軍による本土空襲は激しさを増し、4月には日吉キャンパスの工学部校舎の8割が焼失、5月には医学部のある四谷(現在の信濃町)キャンパスと三田キャンパスでも施設の半分以上が失われた。義塾は最も空襲の被害を受けた大学だった。

医学部は5月24日未明の空襲で木造校舎の大部分と病院を失ったものの、入院患者には一人の負傷者もなかった。

三田キャンパスでは、5月24~25日、26日の2回にわたる空襲で木造校舎のほとんどが焼失、焼け残ったのは塾監局、学部校舎(現在の第1校舎)、鉄筋校舎(現在の研究室棟の位置にあった)、三田演説館だけだった。学徒出陣壮行会が行われた大講堂は鉄骨と崩れた赤レンガを残すのみになった。
三田キャンパスの罹災状況
▲三田キャンパスの罹災状況
信濃町キャンパスの罹災状況
▲信濃町キャンパスの罹災状況

米軍に半分接収された日吉

大きな空襲被害を受けたとはいえ、広い敷地を持つ日吉キャンパスの残存施設は、義塾全体の5割を占めた。しかし、終戦間もない1945年9月に敷地と施設の約半分が米軍に接収され、通信部隊と騎兵師団の宿舎や、独身将校の宿舎などに利用されていた。

日吉は戦後の義塾復興に重要な役割を果たす施設であり、直ちに返還交渉が開始された。当時の渉外室や、藤山愛一郎を会長とする塾員有志による三田リエーゾンクラブなどによる義塾一丸となった返還交渉の末、ようやく1949年に返還が決まり、10月1日の返還式ではシンボルとして金色木製の「返還の鍵」が潮田江次塾長に手渡された。
米軍に接収された日吉キャンパス(建物は現在の高等学校)
▲米軍に接収された日吉キャンパス(建物は現在の高等学校)
米軍に接収された日吉キャンパス(カマボコ兵舎と呼ばれ、返還後も仮校舎として使用された)
▲米軍に接収された日吉キャンパス(カマボコ兵舎と呼ばれ、返還後も仮校舎として使用された)

日吉返還式
▲日吉返還式
返還の鍵
▲返還の鍵

契機となった創立90年式典

空襲を受けた図書館旧館
▲空襲を受けた図書館旧館
1947年5月24日晴天、空襲の惨禍の痕が残る三田山上において、昭和天皇を迎えての創立90年記念式典が挙行された。その趣意書には「百年祭を目指して今後十年に慶應義塾を昔にまさる盛んな学園に建て直そうと、広く天下に呼びかける」と、創立100年を見据えての戦後復興の決意が語られている。時を同じくして、荒廃していた三田演説館の修復が行われ、続いて焼夷弾落下で屋根が抜け落ち、内部が炎上した図書館旧館の修復工事も始まり、1949年5月5日に落成式が祝われた。ただし、戦災でステンドグラスが失われた大窓には透明なガラスが入れられていた。当初の制作者、小川三知の弟子である大竹龍蔵によりステンドグラスが復活したのは、四半世紀の時を経た1974年である。

1955年にスタートした、創立100年記念事業に伴う募金は、12億円の目標が途中で15億円に引き上げられたにもかかわらず、それを上回る15億3000万円余が集まった。そして1958年11月8日、新築なった日吉記念館に昭和天皇はじめ内外の招待客4000名を迎えて、創立100年記念式典が行われた。三田、四谷、日吉各キャンパスで行われていた記念建設事業は、1962年に三田西校舎の第2期工事によって完了し、戦災復興の大事業は完成した。

[特集] 戦中、戦後の義塾をめぐって(3)は2月8日ごろ掲載予定です。
三田山上に昭和天皇を迎えての創立90年式典
▲三田山上に昭和天皇を迎えての創立90年式典
日吉記念館での創立100年式典
▲日吉記念館での創立100年式典

※写真提供:福澤研究センター(連合艦隊司令部地下壕を除く)