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[ステンドグラス] 大学部開設から125年(前編)~文学部・法学部の歴史を知る~

2016/01/12 (「塾」2016年WINTER(No.289)掲載)
1890(明治23)年、慶應義塾に文学科・法律科・理財科からなる大学部が開設された。現在の文学部・法学部・経済学部および商学部の前身である。それから125年が経過したいま、その後の歴史を振り返ってみよう。今回は前編として文学部と法学部の変遷をたどる。

文学部 ~森鷗外、永井荷風が教壇に 『三田文学』創刊は1910年~

1892年の文学科第1回卒業生。写真中央がリスカムと同夫人
▲1892年の文学科第1回卒業生。写真中央がリスカムと同夫人
草創期から英語教育を重んじていた義塾は、1890(明治23)年の大学部発足にあたり、文学、法律、理財の3科に、ハーバード大学(当時の総長はエリオット)に推薦を求め、文学科にはブラウン大学出身のリスカムを外国人主任教師として迎えている。その後任は英国人ロイド、続いて黒船で来訪したペリー提督の従孫ペリーであった。

当時は専攻に分化しない3年制単一課程で、講義科目には「修辞学」「英米文学史」「漢文学」「心理学」「倫理学」などがあり、「仏語」と「独逸語」は随意、つまり選択制だった。1892~99年には森鷗外(林太郎)が「審美学」を担当している。

文学科初年の入学者は20名、中途退学者もあり、最初の卒業生は12名だった。その後、卒業者数は一桁台が続き、1901年5月には在籍者がいなくなり、一時中断状態になった。しかし、1903年公布の「専門学校令」に伴い、予科2年本科3年の課程で翌1904年に文学科が復活した。
川合貞一(1870~1955年)
▲川合貞一(1870~1955年)
1910年の改革で文学・哲学・史学の3専攻が制度化され、文学科主任(後の初代文学部長)には、文学科第1回卒業生で、ドイツのイエナ大学とライプチヒ大学で学んだ川合貞一が就任した。また顧問に森鷗外と上田敏、教員には永井壮吉(荷風)が迎えられた。さらに同年、荷風編集の『三田文学』が創刊され、文壇に大きな影響を与えた。

1918(大正7)年には「大学令」が公布され、5つの帝国大学以外の大学設立が認められることになった。そして1917年に予科が設立されていた医学科を加え、1920年に義塾は文・経・法・医の4学部を擁する私立の総合大学となった。

1951(昭和26)年、文学部に日本初の図書館学科が設置された。駐留米軍の戦後改革の一環で、日本の大学の中から設置大学として義塾が選ばれたのだ。選考者でワシントン大学図書館学科長のギトラーが英訳『福翁自伝』を読み、福澤諭吉に感銘を受けたのが決め手となったという。その後、同学科は図書館・情報学科(現在は専攻)となった。

文学部は2000年に人文社会学科の一学科17専攻となり、現在に至る。

法学部 ~“三田法学”の礎をつくった大学部1期生の神戸寅次郎~

文学科と同じく、1890(明治23)年に設置された大学部法律科の初代主任教師は、ハーバード大学出身のウィグモアである。当初は英法中心の教育が行われたが、帝国憲法発布(1889年)以後、国内の法律がドイツに倣(なら)って整備されるとともに、成文法の国内法教育へと変化していった。
神戸寅次郎(1865〜1939年)
▲神戸寅次郎(1865〜1939年)
法律科第1回卒業生の神戸寅次郎は、派遣留学生としてベルリン大学、ハレ大学で学び、法学博士の学位を取得、帰国後は義塾の専任教員、法学部長となる。東京帝大の鳩山秀夫博士に「日本法律学の中枢は本郷から三田に移った」といわせるほど脚光を浴び、“三田法学”の伝統の礎をつくった。

1920(大正9)年、義塾が総合大学となるに際し、1898(明治31)年に設置された政治科と合併し、それぞれ法学部法律学科、政治学科となった。

1903年に政治科を卒業した板倉卓造は、普通部教員と時事新報社社員を兼任し、米・英・仏に留学後、政治学と国際法を教え1928(昭和3)年から法学部長を務めた。戦後1946年には時事新報を復刊させ、時の吉田茂首相を支えた。

国際交流に目を向けると、1962年からドイツのザールラント大学法経学部と学術交流関係をスタートさせ、また1981年にはブラジルのサンパウロ大学法学部と学術交流協定を締結。さらに、韓国の延世大学と政治学科の20年を越える学術交流など、国際的な活動も盛んである。

1966年に三田法曹会の支援により発足した「司法研究室」は法学部の付設機関であり、司法試験や公務員試験合格を目指す塾生・塾員へ受験指導などを行い、合格者増に貢献した。その後、司法研究室の役割は「法学研究所」と2004年設置の大学院法務研究科(法科大学院)に引き継がれている。
法学会の模擬裁判の様子(1955年)。法学会は、もともとは1899年頃に法律科の学生を中心に結成された自治組織
▲法学会の模擬裁判の様子(1955年)。法学会は、もともとは1899年頃に法律科の学生を中心に結成された自治組織
板倉卓造の講義風景
▲板倉卓造の講義風景

※写真提供:福澤研究センター

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