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[ステンドグラス] 入学式の今昔 ~義塾の入学式の歴史をひもとく~

2015/08/24 (「塾」2015年SUMMER(No.287)掲載)
今年も、4月1日に日吉記念館において大学入学式が行われた。午前と午後の2部制で挙行された式は、塾長式辞と祝辞、入学の辞に続いて、應援指導部も登場し、厳粛かつ華やかに進行した。
今回は、義塾の入学式の歴史を振り返る。

戦前の入学式

1938(昭和13)年医学部卒業記念アルバムに掲載されていた入学式の写真
▲1938(昭和13)年医学部卒業記念アルバムに掲載されていた入学式の写真
義塾の草創期には、決まった時期に入塾する制度はなく、入学式も行われていなかった。現在のような入学を一斉に祝う入学式がいつから始まったのかはよくわかっていないが、文献などで確認できる最初のものは、1890(明治23)年1月27日に、文学・理財・法律の3科による大学部が発足(慶應義塾と早稲田が私立初の総合大学として発足)した際に行われた「始業式」である。合計59名の新入生を迎え、社頭の福澤諭吉先生は「今日の始業式に遭うは、老生の深く喜ぶ所なり」と挨拶した。その後、継続して行われたかどうか明確ではないが、1910(明治43)年の『慶應義塾学報』(現在の『三田評論』)に、4月23日の開校記念日に入学式を挙行したとの記載があり、1933年以降はほぼ毎年入学式についての記載がある。

学生運動の激化で中止 東日本大震災で延期も

1949(昭和24)年4月入学式での女子塾生(福澤研究センター所蔵)
▲1949(昭和24)年4月入学式での女子塾生(福澤研究センター所蔵)
女子新入生が正式に入学したのは、第2次世界大戦終結後の1946(昭和21)年からである。それまでも聴講生としての女子は若干名いたが、正式な女子の入学はこの年であった。なお、昭和25年度に新制大学となって初めての女子卒業生を送り出しているが、その人数は新制大学の卒業生数1297名のうち17 名だった。塾生の約3分の1を女子が占める現在とは隔世の感がある。

戦災で三田の大講堂を失ってから、入学式は三田の屋外で行われていたが、1958(昭和33)年に日吉記念館が完成し、昭和34年の入学式から同記念館が会場になった。

1973(昭和48)年には、前年の学費改定反対運動に始まる学生運動の激化により、卒業式と入学式が中止されたこともある。新入生は日吉キャンパスで授業が再開される6月まで、三田でオリエンテーションなどを受けた。
1949(昭和24)年4月の三田キャンパス屋外での入学式(福澤研究センター所蔵)
▲1949(昭和24)年4月の三田キャンパス屋外での入学式(福澤研究センター所蔵)
恒例となった卒業後50年を迎えた塾員の入学式招待が開始されたのは、1994(平成6)年から。元々は卒業式に卒業後25年と50年にあたる塾員を招待していたが、年々増える塾員に日吉記念館の収容能力が限界に達したため、卒業後50年の塾員は入学式に招待することになった。今年も、1965(昭和40)年卒業の塾員約2000名がスタンド席から新入生を見守った。

東日本大震災が起こった2011(平成23)年の入学式は5月1日に延期された。不安定な電力供給・交通事情や余震に配慮しての判断だったが、式を中止する大学もあるなか、義塾は新入生を迎える伝統の儀式を守った(午前と午後の部に分けて行う2部制が始まったのもこの年からである)。その入学式の式辞で清家篤塾長は、犠牲者に哀悼の意を表し、全ての被災者にお見舞いの言葉を伝えるとともに、「今社会のために慶應義塾のなすべき最も重要な貢献は、しっかりと人材を育てることです。日本が現在の厳しい状態から復興し、さらに発展していくためには、何よりも優れた人材が必要だからです」と義塾の人材育成への揺るぎない決意を述べた。
1964(昭和39)年の入学式。ほとんどの男子塾生が学生服を、ご家族の女性は着物を着用している
▲1964(昭和39)年の入学式。ほとんどの男子塾生が学生服を、ご家族の女性は着物を着用している
1971(昭和46)年の入学式での写真。ヘルメット姿の学生運動の学生も見受けられる
▲1971(昭和46)年の入学式での写真。ヘルメット姿の学生運動の学生も見受けられる
1986(昭和61)年の入学式
▲1986(昭和61)年の入学式

本年2015年の入学式。女子塾生のスーツは、以前よりも画一的な印象も感じられる
▲本年2015年の入学式。
女子塾生のスーツは、以前よりも画一的な印象も感じられる
本年2015年の入学式
▲本年2015年の入学式
本年2015年の入学式
▲本年2015年の入学式