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[ステンドグラス] 「展示」は、義塾図書館のもう一つの顔~三田メディアセンター展示室の歩み~

2014/10/21 (「塾」2014年AUTUMN(No.284)掲載)
三田メディアセンター(慶應義塾図書館)1階にある展示室を訪れたことがあるだろうか?
102年前の図書館(現在の旧館)開館以来、義塾が所蔵する貴重な蔵書を中心として継続的に開催されている展示は、知的興味の新しい扉を開いてくれる。

図書館内で展示を始めたのは初代監督(館長)、田中一貞(たなか かずさだ)

田中一貞(1872[明治5]年~1921[大正10]年)(三田メディアセンター所蔵)
1912(明治45)年に完成した慶應義塾図書館の歴史を引き継ぐ三田メディアセンターには、約280万冊の蔵書がある。その中には多数の個人文庫、特殊コレクションも含まれており、これらの貴重な蔵書の展示を通じて、来館者の興味を刺激し、知識を高める役割を果たすことも、義塾のメインライブラリーとしての大切な使命である。

義塾の図書館の原型は、三田以前の芝新銭座時代に教室の片隅に置かれていた書棚にまで遡るが、前述のとおり1912(明治45)年に煉瓦造りの図書館(現在の図書館旧館)が完成して以降、その活動は本格化した。

ネオゴシック式の優美な美しさを今に伝える図書館の初代監督(館長の当時の称)に就任したのは、田中一貞。大学部文学科卒業後、派遣留学生として米イェール大学で社会学を学び、仏コレージュ・ド・フランスでの研究を経て、帰国後は社会学を担当する義塾最初の教員となった。図書館の展示を始めたのも田中だった。図書館開館式に際して、“福澤先生の遺物” “古文書” “維新前後西洋文明輸入に関係ある図書”などを「特別閲覧室」で陳列展示したのである。開館7年前の1905(明治38)年から図書館主任を務めていた田中は、蔵書展示の意義を早くから認識していた。
大正期の特別閲覧室(三田メディアセンター所蔵)
大正期の特別閲覧室(三田メディアセンター所蔵)
開館2年後の1914(大正3)年には、田中の発案により、毎月1週間、塾生に「親しく所蔵の参考書に接する機会」を与えることを目的に書籍展覧会を行っている。これは、彼が当時の鎌田栄吉塾長に随行した欧米視察において、欧米の図書館では公開書架が行われ、学生が自由に書物に親しんでいる様子を目の当たりにし、それに刺激されて、当時は閉架式が主流であったなかで始めたことだと思われる。

この月次書籍展覧会は、やがて学期ごとの図書館展覧会に引き継がれ、1922(大正11)年2月まで33回続けられた。テーマは都市、金融・貨幣、英文学、社会問題など多岐にわたり、5回目からは専門家による講演会も同時に開催され、より意義の深いイベントとなった。

メディアセンター手づくりの「企画展示」は通算300回以上

1932年5月に開催された創立75年記念展覧会の様子(三田メディアセンター所蔵)
1932年5月に開催された創立75年記念展覧会の様子(三田メディアセンター所蔵)
大正末から途絶えがちだった展覧会だが、小泉信三監督のもと、1931(昭和6)年に「福澤先生伝記完成記念展覧会」、翌年には「創立75年記念西洋経済思想史展覧会」として開催され、徐々に活気を取り戻していった。その後、1934(昭和9)年6月には、高橋誠一郎監督のもとで、時宜を得た「ナチス文献展覧会」が、また1941(昭和16)年には、高橋自身が所蔵する浮世絵の展覧会が開催された。

第二次世界大戦後は、当面被災した建物の再建や規定の整備などに力が注がれたが、1952(昭和27)年の「中国関係稀覯書展」を皮切りに展示が再開された。1982(昭和57)年の図書館新館の開館後は、1階の展示ケースを用いた小展示が積極的に展開されるようになった。

そして2011年、新館1階にあったPCエリアが南校舎に移り、その空きスペースに約70㎡の新「展示室」が設けられた。同年10月の「慶應義塾図書館所蔵庄内史料展」以来、同展示室では、毎回ユニークな展示が行われている。
現在の展示室内部(撮影:井上悟)
現在の展示室内部(撮影:井上悟)
企画展示の開催は通算300回を超える。企画から資料選定、展示、展示目録作成、広報に至るまでのすべてを、図書館の担当者が、時々のテーマを専門とする教員の協力を得ながら行っている。

今後も、所蔵資料を中心にさまざまな公開展示を予定している。ぜひ足を運んで、デジタル画像では味わえない“本物”を目にしてほしい。
慶應義塾図書館(慶應義塾大学三田メディアセンター)ホームページの「展示情報」から、詳しい情報を確認できる。