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[ステンドグラス] 義塾の学園祭、その起源を探る ~三田祭、四谷祭、秋祭、矢上祭、芝共薬祭~

2011/11/14 (「塾」2011年AUTUMN(No.272)掲載)
義塾の学園祭は、日吉を除く各キャンパスで開催される。学園祭は学生自治のシンボルであり、イベントやプログラムは、すべて塾生の自主的な企画・運営のもとに行われる。それぞれに個性あふれる祭りの起源を探ってみた。

三田祭

三田祭
(53回目※・三田キャンパス)
三田祭の第1回の開催は1959(昭和34)年である。しかし、それ以前にも、三田キャンパスで学園祭は開かれていた。

1949(昭和24)年5月、戦災を受けた三田の校舎の復興を祝って教職員と塾生が復興祭を開催した。
その後、三田祭という名称の塾生主導の学園祭が準備されたが予算の問題で中止となった。

1951(昭和26)年と翌年には、学術研究団体連盟と文化団体連盟が独自に運営する別々の三田祭が開催されている。そして1953(昭和28)年には、義塾創立95年を記念して、全塾自治委員会を中心に全学的な三田祭が開かれ、翌年には「統一三田祭」の名称で開催され、来場者は3万人を数えた。

1957(昭和32)年には慶應義塾の特色をアピールしたいと「義塾祭」と名を変えて開催、翌1958(昭和33)年には創立100年を記念して、一貫教育校も含めた全塾的な祭りとして「百年祭」が、日吉・四谷・小金井で同時開催された。
そして翌年に名称を三田祭に戻し、これが現在につながる第1回の三田祭となった。その来場者は年を追うごとに増え、近年は開催期間中に20万人以上もの人々を集める。

四谷祭

四谷祭
(34回目※・信濃町キャンパス)
第1回は1978(昭和53)年、三田祭から分離独立するかたちで信濃町キャンパスにおいて開かれた。現在は医学部と2001(平成13)年に開設した看護医療学部の塾生主催の学園祭らしく、医学・医療関連のさまざまなテーマを取り上げる個性的な学園祭。名称は、信濃町キャンパスが1995(平成7)年まで四谷(地区)と呼ばれていたことに由来する。

秋祭

秋祭
(20回目※・湘南藤沢キャンパス)
第1回はSFC開設2年後の1992(平成4)年。総合政策学部と環境情報学部という、それまでの日本にはないユニークな学部構成のSFCの学園祭らしく、近未来を先取りするような、先進的かつ個性的な学園祭として発足した。なお、毎年7月上旬の七夕祭は、地域の人々との交流を図るミニ学園祭でもある。

矢上祭

矢上祭
(12回目※・矢上キャンパス)
第1回は2000(平成12)年開催と歴史は浅いが、理工学部のキャンパスらしく、研究室展示や科学教室など、理系ならではのイベントが行われる。
家族連れをはじめとした日吉周辺の地域住民の方の参加も多く、日吉・矢上の両キャンパスが地域に根づいたキャンパスであることを実感できる。

芝共薬祭

芝共薬祭
(4回目※・芝共立キャンパス)
第1回は2008(平成20)年ながら、これは合併し、義塾の薬学部になってからのこと。第1回共薬祭は新制大学になる前の共立女子薬学専門学校時代の1947(昭和22)年までさかのぼる。かつての共薬祭の伝統を残しながらも、第1回芝共薬祭のテーマ「Change」に象徴されるように、他キャンパスの学園祭実行委員との交流など、義塾の薬学部として新しい学園祭のスタイルができつつある。