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[ステンドグラス] 150年の時が育てた義塾のシンボル~ペンマーク、三色旗、大公孫樹(いちょう)、ユニコン… ~

2010/04/26 (「塾」2010年SPRING(No.266)掲載)
東館ペンマーク
慶應義塾に入学後、キャンパスのいたるところで、一貫校を含めた義塾の式典の場で、そしてときには、思いがけないところで目にすることもあるシンボルが「ペンマーク」と「三色旗」だろう。そのほか三田の「大公孫樹」と日吉の「銀杏並木」、中等部の「ユニコン像」も卒業後に塾員になってもいつまでも忘れることのない母校のシンボルである。

おしゃれ塾生が私的につくり 後になって公認された“ペンマーク”

マンホールのペンマーク
義塾のシンボルといってまっ先に思い浮かべるのは、異論なく“ペンマーク”で決まりではなかろうか。新入生にとっても、慶應義塾と聞けばこのマークを思い浮かべたに違いない。キャンパス内を歩けば、校舎の壁面やエントランスからマンホールの蓋(左・写真)にまで、いたるところにこのマークを見つけることができる。
外灯ペンマーク
しかし意外なことにこのペンマーク、当初は義塾が制定したのではなく、塾生が勝手に使い始めたという説が有力なのだ。

1900(明治33)年、大学部の塾生に記章付帽子の着用が告知され、この時点でペンマークが正式な義塾のシンボルマークになったことは間違いないのだが、伝説をたどるとその15年ほど前から一部塾生には使われていたらしい。
和服に飽き足らなくなった数人のおしゃれな塾生たちが、揃いの洋服と帽子を誂えたときに、その頃の講義で学んだ「ペンは剣より強し」という言葉にちなんでペンが交差したデザインを考案し、共通の記章として帽子に付けたというのである。

ただし、別の説もある。それは「義塾の紋章を考えてみないか」という福澤先生の意向を受けた塾生がデザインした、というもので、今となってはどちらが真実かはわからない。

ブルー・レッド・アンド・ブルー 宇宙にも飛び出した“三色旗”

三色旗
義塾の三色旗は、大気圏を越えて宇宙空間にも旅をしている。1994(平成6)年と98年にアジア初の女性宇宙飛行士として宇宙へ行った向井千秋君(塾員・1977[昭和52]年医学部卒)が、スペースシャトルで持っていったのだ。現塾生もかつてニュースなどで見たことがあるのではないだろうか。

それはさておき、スポーツの試合はもちろん、さまざまな行事において、この三色旗が掲げられていないと、何だか物足りないものである。ふだん三色旗と呼び習わしているが、実はこの旗の地に使われている色は二色。赤をはさむ上下の青は同じ色である。ちなみに全国各地で組織されている塾員組織の三田会でも、多くが○○三田会と名入りの三色旗をつくって所持している。

これもまたペンマークと同様に、塾生が考案して用いたものを1898(明治31)年頃に義塾の旗として公認したものらしい。というのは、それ以前の1894(明治27)年の「時事新報」その他で、日清戦争の旅順陥落を祝賀するカンテラ行列に国旗とともに三色旗を持つ塾生が参加していたことが記事にされていたからである。

2005(平成17)年には、三色旗とペンマークに義塾のエンブレムを加えた3種類のシンボルのVI(ビジュアル・アイデンティティ)ガイドラインがつくられ、いろいろなケースにおいて利用しやすくなっている。

日吉の“銀杏並木”と 威風堂々、三田の“大公孫樹”

日吉の銀杏並木
日吉駅前から連なる銀杏並木に迎えられて、塾生となった喜びをかみしめた人も多いはずだ。この日吉校舎の銀杏並木は、キャンパスが開設された翌年の1935(昭和10)年に植えられたもので、門から日吉記念館につながる中央道路の両側に約100本あり、植樹から75年を経た今では、大樹並木の風格を備えている。
三田の大公孫樹
しかし、それに勝る堂々たる威容を誇るのが、三田キャンパス第一校舎南側にそびえる大公孫樹(=銀杏)である。「大イチョウの下で…。」は、塾生の待ち合わせによく使われる言葉になっている。ただしこの大公孫樹が、いつからここに植えられているのかは定かでない。明治期の写真で確認することはできないのに、大正時代の写真では2階建て木造校舎の屋根より高くそびえているのだから、何だかミステリーの気配さえする。

1910(明治43)年に義塾に入学した詩人の佐藤春夫は、約20年後に三田の学生時代を懐かしみ、「ひともと銀杏葉は枯れて 庭を埋めて散りしけば 冬の試験も近づきぬ 一句も解けずフランス語」と歌っている。しかし、この銀杏葉が大公孫樹のものであったかどうかは確定できない。キャンパスには他にも銀杏が植えられていた可能性があるのだ。

奇怪な風体ながら愛嬌も感じられる“ユニコン像”

ユニコン像
ユニコンとは一角獣のこと。想像上の生物だが、一般的には額に1本の長い角を生やした馬のような動物として知られている。しかし義塾のユニコンからは、素直に馬は想像しにくい。あえて言えば、パリのノートル・ダム寺院の怪物、ガーゴイルが連想される。

運命もまた数奇(?)。かつて三田山上にあった大講堂が関東大震災後に修復されるときに造られたのだが、その設置意図は不明。戦後の大講堂取り壊しで一旦姿を消すものの、1962(昭和37)年、野球部の早慶戦にユニコンを模した飾りが登場し、奇怪さのなかにも愛嬌があるとして徐々にマスコットとしての地位を高めた。そして1975(昭和50)年に1体が修復され、さらに翌年にはもう1体が復元された。現在は中等部本館玄関両脇に設置されている。
微妙にデザインが違うことも面白い。