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[ステンドグラス] 慶應義塾ことば辞典

2003/04/01 (「塾」2003年SPRING(No.238)掲載)
「ことば」は、単なる意思伝達の手段ではない。
それを使う人々の心や考え方、過去から現在に至る歴史が息づいている。
新入生が慶應義塾を「知る」、そして慶應義塾に「親しむ」ために、
ぜひ知っておいてもらいたい「ことば」を紹介しよう。

まず、福澤精神を表すキーワードから慶應義塾への扉を開く

  • 天は人の上に人を造らず
    一般的に最も有名な福澤先生の言葉のひとつ。『学問のすゝめ』の原文では「……人の下に人を造らずといへり」と続く。すなわち引用として使われているのだが、出典については「アメリカ独立宣言」など諸説がある。しかし、下級藩士の家に生まれ、「門閥制度は親の仇」と叫んだ福澤先生が、この言葉の持つ意味を明治期の日本人に定着させた功績に変わりはない。
  • 独立自尊
    福澤先生は晩年、小幡篤次郎以下数名の高弟に命じ、義塾のモラルコードの作成を急がせた。そして完成したのが「修身要領」で、その骨子が「独立自尊」である。「修身要領」第2条には、この言葉が次のように定義されている——「心身の独立を全うし自から其身を尊重して人たるの品位を辱めざるもの、之を独立自尊の人と云う」。「独立自尊」の人物によって、真の社会秩序が作られていくという「修身要領」の提唱は、現在も慶應義塾の基本理念となっている。
  • 半学半教
    幕末期に福澤先生が始めた蘭学塾では、教える者と学ぶ者の分を定めず、それぞれの分野で一日の長のある者が教える、相互に教え合い学び合う仕組み、すなわち「半学半教」の教育形態を実践していた。これは義塾の基盤がいまだ不十分だった草創期にやむを得ずとったものではあるが、学問は究めるほど奥が深く、生涯学び続けなければならないという姿勢が表れている。「慶應義塾社中之約束」にも、「師弟ノ分を定メス……概シテコレヲ社中ト唱フル」とあり、「社中」次ページ参照)の考え方も、この「半学半数」の根底にある。本誌『塾』では、研究室紹介のコーナー名として「半学半教」を採用。
  • 実学
    独立自尊の精神とともに、福澤先生が重視した「実学」。『学問のすゝめ』には「人間普通日用に近き実学」とあるが、後に福澤研究者によって、実証的な学問との説明も加えられている。「実学」とは実際に役立つ学問、経験や実証に基づく学問といえるだろう。さらに福澤先生は、学んだ実学を社会で生かすことの重要性を説いている。
  • 自我作古
    中国の『宋史』にもある言葉で「我より古(いにしえ)を作(な)す」と読み、前人未到の分野に挑戦し、たとえ困難や試練が待ち受けていても、それに耐えて事態に当たる勇気と使命感を表した言葉。慶應義塾の主義を明らかにするために書かれた『慶應義塾之記」の中で、前野良沢、杉田玄白らの医学書翻訳事業を「只管(ひたすら)自我作古の業にのみ心を委ね」、日夜寝食を忘れて蘭学という新しい学問を起こしたものであると讃えている。福澤先生自身と草創期の塾生たちが、西洋文明をいち早く取り入れ、日本の近代化に貢献したことも、もちろん「自我作古」である。
  • 気品の泉源 智徳の模範
    福澤先生は学問を修める過程で、「智徳」とともに「気品」を重視し、社会の先導者にふさわしい人格形成を志した。先生が書かれた「慶應義塾の目的」に次の一文がある。「慶應義塾は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」。
  • 【番外】ペンは剣より強し
    慶應義塾の校章であるペンの記章は、そもそも塾生が考案し、勝手に使っていたもの。当時の教科書に載っていた「ペンには剣に勝る力あり」という成句をヒントにしたらしい。やがて塾当局に公認され、それを表した三田の図書館の大ステンドグラスは義塾の象徴となった。ラテン語では、“Calamvs Gladio Fortior”というこの言葉を、福澤先生のものと誤解している人も多いかもしれないが、真実は以上の通り。

現代では「常識」の外来語。最初に訳語をあてたのは福澤先生だった

いずれも訳語作りだけでなく、それまで日本になかった新しい概念や考え方を社会に知らしめたことが、福澤先生の功績である。

  • スピーチ→「演説」
    明治7(1874)年に発足した三田演説会。今でこそ演説といえば誰でも理解できる言葉だが、その当時の日本には、そもそも演説という概念自体が存在しなかった。そこで、福澤先生は、「speech」に該当する訳語として「演説」を考案。この訳語は出身藩である中津藩庁に対して申し立てを行うための「演舌書」なる書面に由来し、「舌」という字が俗なために「説」に換えたと福澤先生は述べている。
  • コンペティション→「競争」
    「いろいろ考えた末、競争という訳字を作り出してこれ〔competition〕にあてはめ」たと『福翁自伝』に記されている。ブッシュ米大統領が来日時、塾員である小泉純一郎首相との交流を深める中、スピーチでこの言葉を福澤先生の名をあげて取り上げたことは記憶に新しい。
  • ソサイエティ→「人間交際」
    『西洋事情外編』において「society」に「人間交際」の訳語をあてている。その後、福澤先生は義塾社中の社交の場として「萬來舎」を、さらに東京・銀座に日本最古の社交機関「交詢社」を設立するなど、わが国の近代化の中で人間交際が果たす役割を重視し、その意義を広く社会に啓蒙した。
  • コピーライト→「版権」
    「福澤全集緒言」に「余は其コピライトの横文字を直訳して版権の新文字を製造したり」と書かれている通り、「版権」は「copy right」の福澤訳。先生は知的所有権、著作権に対する議論が盛んな現代に通じる社会意識を持ち合わせていた。

最後に、慶應義塾ならではの“こだわり”ワード集

  • 義塾
    英国の「public school」の訳語と推定される。多くの塾員・塾生(下項参照)が母校を「慶應」ではなく、親しみを込めて「義塾」「塾」と呼んでいる。

  • 慶應義塾で「先生」というのは福澤諭吉ただ一人。他は長幼先後の差があるだけで、義塾の文書や記録に記される敬称にはしばしば「君」が用いられる。各キャンパスの掲示板などで「○○君休講」という貼り紙を見て、驚く新入生も多いだろう。
  • 塾生・塾員
    それぞれ在学生・卒業生のこと。あえて一般的ではないこの言葉を使うことに、慶應義塾の一員としての誇りが込められている。
  • 社中
    慶應義塾を構成する塾生、塾員、教職員すべてを「(義塾)社中」と呼ぶ。そして「社中協力」の精神に基づく人間的な結びつきの強さが、慶應義塾の大きな魅力といえるだろう。