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[ステンドグラス] 三田山上「赤煉瓦」の歴史

2002/10/15 (「塾」2002年AUTUMN(No.236)掲載)
三田といえば、人はまず赤煉瓦の八角塔を備えた図書館(旧館)を思い浮かべるだろう。
その「赤煉瓦」は、慶應義塾の象徴といっても過言ではない。
今回は、三田キャンパスにおける「赤煉瓦」の今昔について紹介する。

- 慶應義塾の知の象徴 「図書館(旧館)」

 関東大震災(大正12年)、東京大空襲(昭和20年)と2度の大きな災害をくぐり抜けながら、建築当初の華麗な姿を現在に伝えている三田の図書館(旧館)。 慶應義塾創立50年記念事業の一環として建設が計画され、約3年の歳月を費やし、明治45(1912)年に竣工した。設計・監督は曾禰達蔵と中條精一郎(曾禰・中條建築事務所)。曾禰は三菱合資会社に在籍中、現在の東京・丸の内のビジネス街の原型となった煉瓦街の建築設計を担当した煉瓦館建築のエキスパートだった。
 完成した図書館(写真<1>)は、赤煉瓦と花崗岩による壮麗な外観を有するゴシック式洋風建築であり、本館(地階・地上3階)、書庫(地上6階)、東南隅にある八角塔 (地上4階)を合わせて建坪200坪(660平方メートル)。蔵書数・閲覧席の規模も当時の大学図書館としては画期的なものであった。以後、昭和56(1981)年12月にオープンした図書館新館(三田メディアセンター)にその中心的役割を継承するまで、質量とも屈指の大学図書館として、長年にわたり 慶應義塾の知のシンボルとして大きな役割を果たしてきたのである。
 幕末に伝来した煉瓦建築は、地震国であるわが国では、明治・大正までの短い期間しか造られておらず、しかも災害などでその多くは現存していない。そのため、図書館(旧館)は、日本人によって設計された明治末年の代表的な西洋建築として極めて貴重な建造物であり、昭和44(1969)年に、国の重要文化財に指定された。
 終戦直後、焼けただれた鉄骨をむき出しにした姿(写真<2>)は、義塾社中の誰しもに復興への強い思いを抱かせた。慶應義塾が何よりも先に図書館の復興に取りかかった (写真<3>)のは、福澤先生亡き後、それが義塾の象徴であり、義塾社中の精神的支柱であったからにほかならない。そして今もなお、かつての塾生たちに学生時代の記憶を呼び覚ます特別な存在であり続けている(写真<4>)。 
<1>完成した図書館(旧館)
<1>完成した図書館(旧館)
<2>戦火で焼けた図書館(旧館)
<2>戦火で焼けた図書館(旧館)
<3>復興中
<3>復興中
<4>増築完成
<4>増築完成

- 戦災で失われた「大講堂」

 現在は図書館旧館八角塔脇の「文学の丘」にある〈しぐるゝや大講堂の赤れんが〉という久保田万太郎の句碑からのみ、その存在を偲ぶことができる「大講堂」。かつて三田山上にあったもう一つの「赤煉瓦」の建物である。
 大正4(1915)年完成。設計・監督は、先に図書館一旧館一を手がけた曾禰・中條建築事務で、やはりゴシック様式の西洋建築である。
 完成以来、入学式、卒業式など、大学の主な式典はすべてこの大講堂で行われるようになる。いつからかこの講堂は「大ホール」と塾生たちから呼ばれるようになり、発表の場としても親しまれた。 さらに、収容人員2千名という都内屈指のホールであったことから、一般の人々の文化センター的な役割も果たし、落成直後の演奏会にはイタリアの歌手ザルコリーが出演。その後もインドの国民的詩人タゴール、相対性理論で世界中にセンセーションを巻き起こしたアインシュタイン博士らが、来日時にここで講演を行い、多くの聴衆を集めている。
 大正12(1923)年の関東大震災によって一部損壊したが、その修復の際、正面バルコニーの上に一対のユニコン(一角獣)像が据えられたことが、このホールを塾生にとってよりいっそう身近なものにした。このギリシャ神話に登場する架空の動物が、昭和37(1962)年秋シ ーズン以降、慶早戦における塾生のマスコットになっていることはご存じの通りである。
 自由で華やかな学生生活の舞台であった「大ホール」であったが、第2次世界大戦が勃発すると次第に戦争の影が忍び寄る。昭和18(1943)年11月、 大講堂では学徒出陣の壮行会が挙行され、多くの塾生が三田から戦地に赴いた。そして昭和20(1945)年5月、東京大空襲で全焼……。戦地から復員してきた塾生たちを迎えたのは赤さびた鉄骨と赤煉瓦の瓦礫の山だった。かつて「大講堂」があった場所には、現在、西校舎が建っている。
<1>久保田万太郎の句碑
<1>久保田万太郎の句碑
<2>大講堂より学徒出陣
<2>大講堂より学徒出陣
<3>大講堂のユニコーン
<3>大講堂のユニコーン
<4>学徒出陣
<4>学徒出陣

- 赤煉瓦、再び・・・・・・「東館」

 20世紀最後の年である平成12(2000)年に完成した東館。図書館(旧館)との景観上の調和を意図して、「赤煉瓦」を再現したエクステリアを持つこの建物は、今や三田キャンパスの新しいランドマークとなった。また、以前この場所にあった「幻の門」が果たしてきた役割、キャンパスヘの アプローチとしての機能も受け継いでおり、三田通りからの入口となるアーチの上部には、ラテン語で「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という福澤先生の有名な文言が記されている。そして、そこから続く3層吹き抜けのアーチ型天井を持つアーケードは、義塾の伝統を感じさせる荘厳なエントランスとなっている。

 慶應義塾の学問の中心となる象徴的な建物になるよう念願され、塾員の寄附により造られた図書館(旧館)。
 その図書館とともに三田山上の双壁といわれ、塾生からはもちろん、地域住民からも親しまれ、知的文化活動の中心的役割を担った大講堂。未来志向の危機管理研究拠点ともいえる東館。
 「赤煉瓦」は、これからも慶應義塾の大きな夢を乗せて、学問研究の、そして塾生たちの"未来"を紡いでいくことだろう。
東館のアーチ上部「HOMO NEC VLLVS CVIQVAM PRAEPOSITVS NEC SVBDITVS CREATVR」
東館のアーチ上部「HOMO NEC VLLVS CVIQVAM PRAEPOSITVS NEC SVBDITVS CREATVR」
調和のとれた図書館(旧館)と東館
調和のとれた図書館(旧館)と東館