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[ステンドグラス] グーテンベルク聖書 新旧メディア革命が交錯する稀覯書のデジタル化

2001/06/20 (「塾」2001年SUMMER(No.230)掲載)
5年の春、慶應義塾大学は西洋で最初の大規模な活版印刷本であるいわゆる「グーテンベルク聖書」を収蔵した。
今回はこの聖書の来歴と、収蔵と同時にスタートした歴史的書物のデジタル化にかかわる慶應義塾のプロジェクトについて紹介する。

- 慶應義塾が収蔵する「グーテンベルグ聖書」

慶應本グーテンベルグ聖書・外観
慶應本グーテンベルグ聖書・外観
 1450年ころに、ヨハン・グーテンベルクがドイツ・ライン河畔にある町マインツで、西洋で初めての活版印刷を始めた。
 その約5年後、大規模な活版印刷本として聖書を出版。これが、「グーテンベルク聖書」と言われるもので、現存するのは47セットのみ。1996年、慶應義塾大学はそのうち1冊を購入した。これは、非キリスト教国、そしてアジアの国が所有する唯一の「グーテンベルク聖書」である。
 「グーテンベルク聖書」は、古いばかりでなく、現在も世界で最も美しい印刷物とされており、美術的価値も高い。そのほとんどのページが42行で本文を組んでいるため、「四二行聖書」とも呼ばれ、以降の時代に印刷されたものと区別されている。

- グーテンベルグの発明とは何か

慶應本グーテンベルグ聖書・中面
慶應本グーテンベルグ聖書・中面
 羅針盤、火薬の発明と共にルネサンス期の三大発明とされるグーテンベルクの活版印刷は、ヨーロッパに一大メディア革命を巻き起こした。活版印刷による聖書の普及は、マルチン・ルターらによる宗教革命の遠因を作った。21世紀の今、私たちはITによる大規模なメディア革命の最中にいる。電算写植の普及、DTPの出現によって、活版印刷は衰亡しているが、情報革命の先駆けとなったグーテンベルクの偉業は、今も欧米では高く評価されている。4年前、アメリカの『ライフ』誌は、過去千年における最も重要な出来事と人物の百選ランキングを発表。その第一位に、グーテンベルクによる聖書印刷を選出した。
 実は活版印刷の起源は中国・朝鮮半島の方が早い。それでもグーテンベルクが"活版印刷の父"とされる理由は、鉛合金(スズ、アンチモン)を使った活字の鋳造、ブドウを絞るワインプレスを改良した強い圧力を均等に加えることができる印刷機の製造、そして油性インキを使用したことなどが挙げられる。こうした彼独自の技術開発が、その後の活版印刷の歴史を拓いたのだ。こうした技術の漏洩を恐れたためか、グーテンベルクは、ほとんど独力で活版印刷事業に取り組んでいた。しかし、自分の財産を注ぎ込み、借金を重ねた挙げ旬、多大な負債を抱えることとなり、裁判で争った結果、資金提供者のヨハン・フストらに、印刷途中で機材の一切を手渡すことになってしまう。その後の彼は不遇な晩年を送ったようである。「グーテンベルク聖書」には、現代の書籍のように奥付など印刷者・印刷年月日のクレジットが一切ない。そのため、長らく事業を引き継いだフストらが活版印刷の父とされた時代もあり、グーテンベルクの功績が認められることになったのは、ようやく18世紀になってからのことだった。

- HUMIプロジェクトによる貴重文献の画像データ化

 慶應義塾大学では「グーテンベルグ聖書」収蔵を受け、デジタル・リサーチ・ライブラリー実現へ向けてのプロトタイプ研究を行うため、各学部の多くの研究者が集結したHUMI(HUmanities Media Interface」プロジェクトを発足。文部省(現文部科学省)の特別助成を受けたこのプロジェクトは最新のデジタル技術を駆使して、「グーテンベルク聖書」 をはじめ、図書館が所蔵する貴重な歴史的書物のデジタル画像データ化を行った。これらの作業を通して撮影・データ保存用の機材を独自に開発した文学部高宮利行教授らHUMIプロジェクトのスタッフは、「グーテンベルク聖書」の比較研究のために、1998年よりケンブリッジ大学図書館、マインツ・グーテンベルク博物館などへの海外遠征も敢行。2000年3月に訪れたロンドンの大英図書館は、書物保存に関して世界有数の厳しい基準を持ち、交渉と撮影にかかわる技術検証には1年半もの時間を費やした。しかし、その結果、慶應義塾スタッフの技術レベルの高さと卓越した仕事ぶりは、世界中から高く評価されることになった。大英図書館とは、昨年11月、今後も継続的に歴史的書物のデジタル化に共同で取り組む内容の覚書がとり交わされている。HUMIプロジェクトによって収集された画像データの一部は、ホームページ上で公開されており、自由に閲覧・利用することができる。
<1>特殊拡大撮影した聖書の活字
<1>特殊拡大撮影した聖書の活字
<2>スタッフによる稀覯本撮影作業
<2>スタッフによる稀覯本撮影作業
 <3>ヨハン(ヨハネス)・グーデンベルグ
<3>ヨハン(ヨハネス)・グーデンベルグ【Johannes Gutenberg・1400頃~1468】ドイツ・マインツの富裕な家庭に生まれる。活版印刷技術の創始者と言われ、1434年ころ、シュトラスブルグ(現フランス・ストラスブール)に在住していたころから、金属活字の鋳造と印刷機製造に打ち込む。マインツには彼を記念した印刷技術博物館がある。

デジタル・リサーチ・ミュージアム(DRM)

 貴重な文献資料等をデジタル画像にすれば、インターネットを介して、研究者にデータとして資料を提供することが可能となり、現物を損傷や事故から守ることができ、さらに拡大縮小が自在にできる、汚れを除去できるなど比較検討の上でもメリットは大きい。予定の活動期間を終えたHUMIプロジェクトを引き継ぐ形で、今年度よりデジタル・リサーチ・ミュージアム(DRM)」構想がスタート。慶應義塾の研究者とIT関連企業等がコンソーシアムを組織し、デジタル化した情報のさまざまな利用法やビジネスモデルなどについての産学共同研究を行っている。このDRM構想では、HUMIプロジェクトで扱った活字資料だけでなく、写真や映画など映像資料や、レコード、テープなどの音声資料のデジタル化も進め、従来のミュージアムに替わる“デジタル・ミュージアム”の開設を目指す。4月には、欧州の大学、博物館、美術館との連携拠点「慶應義塾大学先端人文科メディア研究センター」を義塾の英国ナウトンコート・キャンパスに新設した。今後、ここを拠点として大英図書館とのより緊密な関係を築くなど、文化遺産のデジタル化における国際的なコラボレーション作業を可能にする研究体制作りを3年間の予定で進めていく。