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平成29年度大学入学式式辞

2017月4月3日

慶應義塾長 清家 篤

新入生の皆さんご入学誠におめでとうございます。慶應義塾を代表して皆さんの入学をお祝い致します。また新入生のご家族・関係者の皆様にも心よりお慶びを申し上げます。

慶應義塾では学生を「塾生」、卒業生を「塾員」と呼び慣わしています。きょうこの会場には、ちょうど今から50 年前の1967年に慶應義塾大学を卒業された塾員の方々が、新入生の入学をお祝いするために、全国各地から駆けつけてくださっています。誠に有り難いことであります。新入生と共に、御礼申し上げたいと思います。

さて私たちは今、大きな変化の時代を生きています。それは地球温暖化や少子高齢化といった、私たちの住む地球や社会の持続可能性そのものを問うような変化です。そうした大きな変化の時代に、慶應義塾大学において、皆さんにぜひ身に付けて頂きたいことを、やはり大きな変化の時代を生きた、慶應義塾の創立者福澤諭吉、福澤先生の言葉に拠ってお話ししたいと思います。

まずお話ししたいのは「公智」ということです。これは「おおやけのち」と書くわけですけれども、智という字は知るという字の下に日と書く智です。福澤先生はこれを先生の主著である『文明論之概略』において、「人事の軽重大小を分別し、軽小を後にして重大を先にし、その時節と場所とを察するの働きを公智と云う」と定義しています。つまりその持っている知識や分析力を総動員して、その時々の社会の状況などに応じて、より大切なことは何かを判断する力です。

世の中に大切なものは沢山ありますが、大切さには違いがあり、相対的なものであり、またその相対的な大切さも時と場所によります。先生はこのことを『文明論之概略』の冒頭で、まず述べておられます。

例えば当時の日本では、廃藩置県によって大名や藩士は困るようになったが、これは政府が闇雲に大名藩士を困らせようとしたわけではない。日本国と諸藩とを比べれば、日本国は重く諸藩は軽いということだったのだ、と述べておられます。封建の制度を倒して近代の日本を作ったのは、封建が絶対的に悪いからでも、近代が絶対的に良いからでもなく、その時の日本の状況を勘案すると、封建よりも近代を選ぶ方が良いという相対的判断だったということです。

このように相対的な物事の中から、より大切なものを優先するという公智こそ、人の身に付けるべき最も大切な知性であると、福澤先生は言っておられます。そしてその公智を働かせる基になるのが、次に述べる「実学」です。

「実学」というのは実際の役に立つ学問という意味もありますが、先生にとってそれは科学のことでした。先生は『慶應義塾紀事』という本の中で「本塾の主義は和漢の古学流に反し、仮令ひ文を談ずるにも世事を語るにも西洋の実学(サイヤンス)を根拠とする」と書いておられます。実学という言葉に、サイヤンスとルビを振っておられるわけです。

これは昔だれか偉い人の言ったことを金科玉条のように覚える古学流ではなく、物事をまず虚心坦懐に見て、科学的に理解するということです。先生はその科学の基本は疑問を持つということ、つまり「疑うこと」であり、多くの真理は「疑うこと」を出発点として得られている、ということを強調しています。例えば天文などはそのよい例で、中世のヨーロッパでは天体望遠鏡の技術進歩などにより、天体の動きをより正確に観測できるようになったことから、コペルニクスやガリレオ・ガリレイ、ケプラーなどの天文学者は、それまでの、地球が宇宙の中心であって、太陽や星はその周りを回っているという天動説に疑問を持ちました。そしてついにその天動説とは正反対の地動説こそ真理であることを明らかにしたのです。

ここで大切なのは、常識と考えられていたこと、あるいは人々の実感にとても合致していたことに疑いを持ったことです。私たちは朝になると東から日が昇り、夕方になると西に日が沈むのを見ています。また夜になると夜空に星のぐるぐると動く様子を見ています。ですから、地球は静止していて星や太陽が動く天動説は間違いなく実感に合っています。しかし驚くなかれ真実は、私たちの実感とはおよそ正反対であり、地球は傾いた地軸を中心に自転し、また太陽の周りを公転しているということだったのです。

大きな変化の時代には、変化を自らの頭で理解し、その理解にもとづいて問題を解決すること、つまり自分の頭で考えることが重要になりますが、ここで自分の頭で考えるというのは、闇雲に思いをめぐらすことではありません。それは疑問を持って考えるべき問題を見つけ、その問題を説明しうる自分なりの論理を作り、これは仮説というわけですが、その仮説を客観的な方法で確かめて結論を得るということです。これは実証的な科学の方法論に他なりません。捉われない目で実証的に物事を理解し、その上でそれぞれの物事の軽重大小を判断して公智を働かせることの大切さを先生は説かれたのです。

このようにして、実学にもとづいて公智を働かせることのできる人に、福澤先生がもう一つ求めたのは「奴雁」の視点でした。ここで奴雁とは番をする雁のことで、先生は『民間雑誌』という雑誌の中で「群雁野に在て餌を啄むとき、其内に必ず一羽は首を揚げて四方の様子を窺ひ、不意の難に番をする者あり、之を奴雁と云ふ。学者も亦斯の如し。天下の人、夢中になりて、時勢と共に変遷する其中に、独り前後を顧み、今世の有様に注意して、以て後日の得失を論ずるものなり」と言っておられます。つまり、奴雁とは雁の群れが一心に餌を啄んでいるときに、一羽首を高く揚げて難に備える役をする雁のことで、学者もまた、社会の人々が目先のことに汲々としているようなときに、ひとり歴史を顧み、現状を冷静に分析し、将来のために何が最も良いかを考える者でなければならない、ということです。

先生はここで「学者」と言っていますが、これはおよそ慶應義塾で学んだような、実学にもとづいて公智を働かせることのできる知性を持つ者はということであり、そうした人たちは周囲に流されることなく、将来を見据える視点を持つことが重要だと言っておられるのです。実際、福澤先生は周囲が右往左往しているようなときにも、冷静に将来を見据えておられた方でした。その象徴的な出来事が、幕末の動乱の中でウェーランドの経済書を講義し続けた故事です。

先生は慶応4(1868)年5月15日、上野の山で彰義隊と官軍が戦火を交えたときにも、上野の山から当時慶應義塾のあった芝新銭座まで大砲の弾は届かないのだからと、うろたえて避難する近隣の人々を尻目に、18 人の塾生を励ましてウェーランドの経済書の講義を続けられました。維新後の日本のために今はしっかり勉強することこそ大切だと考えられたわけで、時流に流されることのない冷静な福澤先生の、面目躍如たるエピソードだと思います。

奴雁の視点を持って、実学にもとづき、公智を働かせる。大きな変化の時代に、そのような力を、慶應義塾大学において皆さんに身に付けて頂きたいと思っています。そのためには何よりも学問をしっかりとすることです。幕末から明治への大きな変化の時代に、福澤先生が学問の重要性を繰り返し説かれたのもこのためです。

まず皆さんは教養教育において、人文科学、社会科学、自然科学を幅広く学ぶことで、学問的に考えるとはどういうことかを理解してください。その上で、専門教育において、自らも奥深く研究をすることによって、学問的方法論を実践して頂きたいと思います。

大学においては課外活動も考える力を養う場となります。例えばスポーツの活動において、次の試合に勝たねばならないという課題を持ち、そのためにはどんな技を磨けばよいか、どんな戦術をとればよいかという仮説を作り、それを日々の練習で検証して、勝利という結果に結びつけるというのは、まさに学問の方法論の実践であります。もちろんこれは芸術系、学術系の課外活動においてもまったく同様です。

あらためて新入生の入学をお祝いし、皆さんのこれからの大学生活が、実り多く、また楽しいものとなるよう祈念しまして、私の式辞と致します。さて本日新入生の中にはたくさんの留学生もおられますので、最後に短く英語による式辞も申し上げます。

Since there are a number of international students joining Keio today, I would like to make some brief remarks in English. First of all, on behalf of Keio University, I would like to welcome you all and to extend my heartfelt congratulations. I would also like to offer my sincere congratulations to your family and friends.

We are now living in a time of great changes, changes so great that the sustainability of our society itself is at stake. In such a time of great changes it is extremely important for you to possess three things that our founder Yukichi Fukuzawa, or Fukuzawa-sensei, emphasized to be of great importance.

The first is "kochi," or public wisdom. In his book An Outline of a Theory of Civilization, Fukuzawa-sensei clearly defined it as "the ability to evaluate people and events, to give weightier and greater things priority, and to judge their proper times and places." The second is "jitsugaku," or science, for which he stressed the importance of curiosity and questioning. Through science, you can acquire the scientific way of thinking, by which I mean identifying a problem that must be addressed, constructing a hypothesis that explains the problem, and verifying the hypothesis to reach a conclusion. And the third is the importance of being a "dogan," or guardian goose, which watches for danger while the rest of the flock focuses intently on pecking their food. Fukuzawa-sensei urged that while people are preoccupied with the trends of the times, scholars should act like the guardian goose and reflect on the past, carefully observe the developments of the present, and deliberate on the best outcome for the future.

I am very confident that you will be able to obtain this ability through an extensive liberal arts education, deep research experience, and an active student life here at Keio University. Once again I congratulate you all and wish you a meaningful and enjoyable student life here at Keio University.

あらためて皆さんのご入学をお祝い申し上げます。本日は誠におめでとうございました。

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