塾_327号_夏
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塾 SUMMER 2025NO.327を思いのほか早く実現できましたし、大学時代のさまざまな記録も4年間全試合フルイニング出場したからこそ達成できたわけですから。神宮球場という晴れの舞台で、野球の伝統校同士が天皇杯を争って真剣勝負を繰り広げる……30年近くたって振り返ると、やはり特別な経験だったと思います。天覧試合だった最初の早慶戦、最終学年での優勝と優勝パレードなどは決して忘れられない思い出です。││在学中は各球団からも注目されていたわけですが、ご自身もその過程でプロに進む気持ちを固められたわけですね。手になろうとは思っていなかったのです。││慶應義塾大学野球部の印象はいかがでしたか。高橋 まず感じたのは﹁大人﹂のチームだな、ということでした。先輩が大人なのは当然ですが、浪人して入学した同級生は年上でしたし、その後、5浪したという年上の後輩もできました。また、私のように子どものときから野球だけをやってきた部員のみならず、大学まで野球経験がないという部員もいました。野球強豪校だけではなく、内部進学の学生も多いですし、そうした多様なメンバーが個人の目標を持ちながら試合に向けてチーム一丸となって勝利を目指す……高校までとは全く異なる面白い環境だったと思います。監督やコーチも選手を大人扱いしてくれました。就任したばかりの後藤寿彦監督は選手一人一人の個性を大切にされ、私たちが伸び伸びとプレーできるよう心を配ってくれていたと思います。││高橋さんは1年生からレギュラーとして活躍され、東京六大学野球ルーキー新記録の3本塁打を記録されています。高橋 監督に1年の春季リーグからレギュラーとして出場させていただいたことは感謝しかありません。﹁慶應義塾の選手として神宮球場で活躍したい﹂という夢選手としてずっと大切にしていた長嶋茂雄監督の教えの野球強豪校から高校入学のお誘いがありました。その中から桐蔭学園高校への進学を強く勧めてくれたのは母でした。おそらく末っ子の私を自立させるために全寮制での生活を望んだようです。当初父は私が家を出ることに反対で、私自身もあまり気が進みませんでしたが、いま振り返ると母の判断は正解だったと思います。高校3年間で一人で生活する力が付き、同時に親のありがたさも身に染みました。大学進学にも力を入れていた桐蔭学園高校での生活では、野球ばかりでなく将来に向けた視野も広がったと思います。││慶應義塾大学への進学動機を教えてください。高橋 やはり東京六大学野球でしょうか。当時もNHKで早慶戦の試合を放映していて、野球部の監督と部員みんなでテレビ観戦していたのです。そこから早慶戦に出てみたいという憧れの気持ちが生まれ、当時の監督からは﹁慶應が合うのでは﹂と言われていました。しかも野球部で2年先輩だった髙木大成さん︵元西武ライオンズ選手、現埼玉西武ライオンズ球団職員︶がSFCに進学していたこともあって、私も慶應義塾大学への進学を決めました。ただ、その時点でもプロ野球選131997 年春季リーグ戦優勝パレード(大学4年時)

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