塾_326号_春
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今も変わらぬ就職活動の心得読売新聞「就活ON!」 編集長 恒つ川か良り輔す君 ょう3わねけ塾 SPRING 2025NO.326        1999年文学部西洋史学専攻卒業企業が選考を受けてほしい学生を指名する﹁逆求人﹂や、個別に企業を紹介してくれる﹁就職エージェント﹂など就活支援サービスは多様になった。それでも、就活の基本的な心得は、昭和から変わっていない。﹁働く上で譲れない条件は何か﹂﹁自分はどのような人生を送りたいのか﹂。自分の就活の軸を言語化し、それに合う仕事や企業を見つけ、さらにOB・OG訪問をして、確認を繰り返すことだ。名前が知られていないスタートアップなどに就職先を決めたときに、﹁そんな企業知らない﹂﹁もっと大きな企業を受けたら﹂と親や親戚に言われるかもしれない。熟慮の末の決断なら、きっと胸を張って説明し、親たちを納得させられるはずだ。﹃就職戦術﹄でも慶應義塾は私学の雄として名前が出てくる。慶應義塾の名前にぶら下がるのではなく、自らが慶應義塾の名前を高める心意気で就活に挑んでほしい。﹁研究と準備なくして実社会に入ろうとすることは甚だ無謀である﹂﹁無準備の青年に限って、有名な銀行、一流の会社、評判の大商店など名前食いが多い﹂1929︵昭和4︶年12月発行の書籍﹃就職戦術﹄︵先進社︶の一節だ。100年近く前の学生たちが手にしていた就職活動のマニュアル本で、心得のほか、商社や銀行、新聞社などの筆記試験問題や初任給なども載っている。記事からは、自己分析や企業・業界研究もせずに、有名企業に次から次に応募する学生がいたことがうかがえる。当時は第一次大戦後の長引く不況で、この年の9月には映画﹁大学は出たけれど﹂︵小津安二郎監督︶が公開されるほど就職難だった。記事によると、発行年の学生の就職率は50・02%。映画は、大学卒業後も定職に就けず、田舎の母親に﹁就職できた﹂とウソをついてしまう青年の物語だ。記事では﹁父兄や自己の周囲が希望しているからといって︵中略︶、見栄第一の就職口を選んで、自己の天分とまるで反対の方向を辿る﹂例を﹁甚だ遺憾﹂とし、﹁虚栄心をかなぐり捨て自己の将来を最も伸ばしやすい天職としての職業を、自らの力で選択すべきである﹂と諭している。耳が痛い塾生はいないだろうか。学生優位の﹁売り手市場﹂が続く2024年3月卒の就職率は、少子高齢化による慢性的な労働力不足の影響で、98・1%と過去最高を記録した。特徴的なのは、退職者を中途採用で埋められなくなった中小企業が、新卒採用市場に多数参入してきたことだ。そのため、就職先を選ばなければ内定は得られるが、有名企業や人気業界は応募が集中し、﹁選考倍率が100倍を越すことも珍しくない﹂︵採用アナリスト︶状況だ。有名企業にだけ応募し、全滅するリスクは、就職難だった昔より高いのではないだろうか。

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