塾_326号_春
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塾 SPRING 2025NO.326 イプの人間を勝ち抜けるとは思えませんでし格は勉強を頑張ればとれる、と。自由に、楽しんで書くことにこれからもずっとこだわっていく︵笑︶。ワグネルでの活動にも力を入れていたのですが、次第に小説を書くことの比重が大きくなり、原稿用紙10~50枚ほどの作品を2、3カ月に一本ぐらい書いていました。高校卒業までに掌編・短編が7、8作品、100~250枚の長めの小説を3作品書きました。それらの作品をさまざまな文学賞に応募したのですが、一つも予選を通過しませんでした。大学進学にあたって、小説家として生活していくことは無理だと思い、公認会計士の資格取得を目指すことにしました。││なぜ公認会計士だったのですか。金子 父が税理士法人勤務の公認会計士だったので、資格があれば就職活動をしなくて済むと考えたのです。私たちの世代は就職氷河期を見ていましたので、私のような面接での自己アピールが苦手なタ││文学賞への応募も続けていたのですか。金子 もちろんです。でも地方文学賞や文芸誌の新人賞など予選落ちが続いて﹁この先、文学はあくまで趣味としてやることになるのかな﹂という諦めの気持ちもありました。でも後悔しないように全力を出し尽くした作品を作り上げようと頑張って、大学1年のときに純文学の﹁群像新人文学賞﹂に応募したところ、初めて1次、2次予選を通過して最終選考の一つ前の段階まで進みました。結局、新人賞には選ばれませんでしたが、その時期にSNSを通した文学仲間が増えました。彼らから私の作品が﹁面白い﹂とほめられたり、作家になるのを諦めかけていたときに﹁書き続けてほしい﹂と言われたこともありました。そういえば文学部の授業で知り合った友人にも﹁いつか金子は作家になると思う﹂と言われたことがあります。ただ現実ではその後も、文芸誌の新人賞で予選は通過しても受賞には至らないということが続きました。││大学卒業後は、監査法人で働きながら書き続けていたのですね。として安定した生活を営みながら小説を執筆する……そんな将来像を思い描いていました。││大学入学後も商学部の授業や会計士の勉強をしながら小説を書き続けたわけですね。金子 はい。文学部の授業に潜り込んだり、文化団体連盟所属の公認サークル﹁三田文學塾生会﹂を拠点に創作活動を続けたりしながら、公認会計士の勉強にも取り組んでいました。私のような一貫教育校からの進学者は大学受験をしなかった分、余力がある。なんとか大学3年生のときに公認会計士試験に合格することができて、ホッとしました。10大学卒業式で三田文學塾生会の仲間と(前列左)たが公。就認で活会も競計資争士

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