塾_326号_春
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9塾 SPRING 2025NO.326ずいぶん変わりましたね︵笑︶。││入学された志木高校の国語の授業で﹁文学﹂と出会うのでしたね。金子 はい、2年の国語の授業で太宰治にはまりました。その前年がちょうど太宰の生誕100年だったからでしょうか、近代文学に造詣が深い国語の小澤純先生は、その1年間をかけて太宰の第一創作集でもある短編集﹃晩年﹄の各編を読み解く授業を展開されました。それと並行して藤子・F・不二雄﹃ドラえもん﹄も扱うというとても不思議で画期的な授業でした。本当に楽しかったです。志木高校の先生方はそれぞれの専門分野を生かしたユニークな授業をされていて、入学してからしみじみ﹁この学校に来て良かった﹂と思いました。金子 小澤先生の授業を受けるまで、太宰は教科書に載っていた﹃走れメロス﹄などのイメージしかありませんでした。しかし先生の授業を通して太宰という作家が、いかに実験的かつ前衛的な姿勢で作品を書いていたかがわかって驚きの連続でした。﹃晩年﹄の冒頭に置かれた﹁葉﹂という短編は36の断章で構成された作品でも斬新に感じられる技法が満載で、作品を読むたびに大きな衝撃を覚えました。そして自分の中で小説というものの価値が一気に大きくなっていき、いつの間にか﹁自分でも小説を書いてみたい﹂と思うようになったんです。││それまで書いたことがなかった小説をいきなり書き始めたのですか。金子 気付いたら書き始めていました。実験的・前衛的な作品に憧れましたが、まずはベーシックな小説の﹁型﹂を身に付けようと好きな作家やマンガ家の作品のテイストを取り入れて物語を作っていきました。私は音楽も好きで、志木高校ではワグネル・ソサィエティー男声合唱団で歌っていました。私の在籍時、志木高校の現在までの歴史で唯一、全国大会まで出場できたことがちょっと自慢ですわば現代のSNSにも通じる作品だと感の他の作品でも語りや人称の工夫、作品のメタ構造など現代の感覚小説を書く勉強をしながら公認会計士の勉強にも取り組んだ路変更して志木高校に進学されたのはなぜですか。金子 簡単に言えば大学受験をしたくなかったからです。中学生になって学校のカリキュラムが大学受験本位のものになって、勉強自体は嫌いではなかったのですが、学校の勉強が楽しくなくなりました。このまま高校でも受験本位の勉強をするのは嫌だと考え、大学にそのまま進める高校を目指すことにしました。そうすれば高校生活を楽しく過ごせると思ったんです。そこで中学2年から高校受験のための塾に通い始めました。並行して早慶の高校を中心に学校説明会に足を運ぶ中、志木高校に心引かれました。もともと農業高校だっただけあって、自然の豊かさを感じられる広々とした環境に﹁ここなら伸び伸びと3年間を過ごせそうだ﹂と直感したのです。秋の学校説明会では校庭の柿の木にたくさんの実がなっていたのですが、当時の校長先生が私たちに﹁落ちている柿の実はどうぞお持ち帰りください﹂とおっしゃって、そのことが強く印象に残り﹁志木高校を第一志望にしよう!﹂と決めました。入学してみると私と同じく外部の中学から進学してきた生徒が多く、環境は緑豊かだし、都会的だと思っていた慶應のイメージが志木高在学中は合唱で全国大会に出場(最前列中央)じで、まこしれた。はそい

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