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[慶應義塾豆百科] No.99 『福澤関係文書』の刊行

『福澤関係文書』と題するマイクロフィルムが福澤研究センターで編集・整理が進められている。これは表題にある様に福澤先生関係の古文書や古記録の刊行をまとめてマイクロフィルムに撮影しただけのものではなく、福澤先生の数多い著作の草稿や書翰などは言うまでもなく『福澤諭吉全集』に含まれていない、著述の参考に熟読していたミルやスペンサーの著作に細字で書き記された書き込みの類から、家族と写した写真まで、およそ先生に関係あるもので写真撮影に馴染むものなら、すべてマイクロフィルムに納めておこうとの方針に基づいてなされている事業である。これが完成すれば「マイクロフィルム版福澤博物館」(芳賀徹東京大学名誉教授評)となるであろうことは疑いない。

さらにこのマイクロフィルムは、福澤先生の資料のみに留まらず、慶應義塾の資料をも合わせ収めているところが特色である。慶應義塾は昭和33年に創立百年を迎え、それを記念して『慶應義塾百年史』全6巻を編纂したことがあったが、その後学校史の編纂は企画されておらず、すでに三十余年が経過している。いずれ近き将来、百五十年史の編纂が開始されると思われるので、それがための資料整理と保存の意を含めて、今回慶應義塾の資料をも撮影することになっている。ここに「義塾という組織と福澤という人が車の両輪」(石川松太郎日本女子大学教授評)となって、具体的な知的交錯を示してくれるであろう。

特に慶應義塾の基礎資料は、創立百二十五周年の記念出版物『慶應義塾入社帳』全5巻の刊行以来、逐次『慶應義塾社中之約束』等基本的資料が覆刻されていたが、今回のマイクロフィルムはこれらの資料も含め、さらに、公私文書類や学業勤惰表等の学務関係資料、法人としての最高決議機関である評議員会の議事録、慶應義塾出版社から発行された『民間雑誌』『家庭叢談』等の雑誌や教科書類、塾生の発行した機関雑誌や各種スポーツの記録をも含め、創立から50年ほど経た明治末期頃までを収録年代の下限として、撮影することになっている。

明治期の印刷物は酸性紙使用のためその劣化が著しく、文字通り崩壊の危機に直面している。この企画は資料の整理保存という自的と同時に、あらゆる資料を公開し、過去百数十年にわたる福澤および古き社中の熱き営みを、日本の近代化との関わりの中で追求してほしいとの願いをこめて作業は遂行されているという。

 (注)マイクロフィルム版『福澤関係文書』は、福澤諭吉及び慶應義塾関係の資料を逐次撮影し、平成元年から刊行を始めており、その作業も近年完結の予定である。