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[慶應義塾豆百科] No.94 商学部の開設

商学部の開設されたのは昭和32年のことである。翌33年は義塾創立百年に当たり、商学部の開設もいわばそれを記念したものであった。ただ忘れてならないのは商学部が研究教育の主な対象とする、商学・経営学・会計学といった分野の学問を、わが国に紹介した最初の人は福澤先生であり、それにまつわる「簿記」の講座を塾内に設けると共に、商法講習所その他を通じて、全国にその普及を図ったのも、福澤門下の三田の俊秀たちであった。即ち、ブライアントとストラットンの共著『ブックキーピング』を翻訳し、福澤先生がこれに『帳合之法』と名づけて出版したのは遠く明治6年のことで、商学部を語るときは、やはり先生によって提唱された実学の源流にまで遡らねばならない。

ところでそうした前史をふまえて、商学部開設までのやや具体的な経緯を辿ってみると、昭和10年に経済学部内でこの問題が真剣に討議されたのが最初であった。最もこの時はまだ学部内の意見がまとまらず、僅かに13年度から、それまで甲乙2班にわかれていたものを、はっきりと甲を経済学科、乙を商業学科と改称するにとどまったのである。しかし戦局の進展に伴う学生数の減少と共に、この2学科制も有名無実のものとなり、戦後は廃止されるに至った。その後も短い期間ではあったが、経済学部のなかに経済科、産業科の別が設けられるなど、商学部開設への胎動は、時に消長を見せながらも、塾史の底流として絶えず存在し続けてきたことは事実である。

それがたまたま創立100年という機会に実現の運びに至ったことについては内外2つの要因があったとみてよい。一つは学内の問題として、経済学部がその講座科目数において、114という全国諸大学の経済学部でも類をみないまでに細分化し、一学部としての適正規模を越えていたこと、他方、授業料に依存する度合の多い私学の経営面からも、新しい学部増設への期待が高まったことが指摘されよう。しかも産業組織と生産技術の顕著な進展によって、商学部の新設は社会の要請にこたえるものでもあり、多年の懸案を一挙に実現させたのであった。

初代学部長には教授金原賢之助が就任、1期生621名で発足した商学部は、平成7年3月現在卒業生3万5483名を数えるに至った。