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[慶應義塾豆百科] No.86 塾長訓示

慶應義塾の建学の精神をあらわすものとしては、しばしば引用されるように、福澤先生が自から起草された「慶應義塾の目的」とよばれる一文に尽きる。即ち「慶應義塾」は単に一所の学塾として自から甘んずるを得ず。其目的は我日本国中に於ける気品の泉源、智徳の模範たらんことを期し、之を実際にしては居家、処世、立国の本旨を明にして、之を口に言ふのみにあらず、躬行実践、以て全社会の先導者たらんことを欲するものなり」とある。なかでも「気品の泉源、智徳の模範」は、義塾教育のモットーの1つとして、今日までの歴代塾長が特に意を用いてきたところであった。なかでも戦時下に義塾に学んだ者にとって忘れ得ないのは、塾長小泉信三が塾生に対して配布した小冊子「塾の徽章」であった。これは昭和14年の暮れ、三田及び日吉において塾生に対して行った講演をまとめ、翌15年の1月に、その全文を『三田評論』『三田新聞』に発表すると共に、その趣旨の徹底を期するため別に小冊子として配ったものである『百年史』には、その趣旨について「国民の国旗にも比すべき塾生の記章と制服の光輝をまもり、さらに記章の光を塾生みずからの力によって輝かすことを期待したものであって、塾生全体が協力して慶應義塾の名誉をきずつけないように自覚し、容儀礼節の水準を高めるよう、身辺のたしなみに関してこまかな注意を与えたものである」と記している。

これに基づいて小泉は、同年10月、塾生のモラルをさらに高める目的で、日常生活の心得ともいうべき数か条を定め、これを一片の小紙片に印刷して全塾生に常時携帯させ、また各教室にも掲示した。「塾長訓示」とよばれるこの心得は左記の通りである。

一、心志を剛強にし容儀を端正にせよ
一、師友に対して礼あれ
一、教室の神聖と校庭の清浄を護れ
一、途に老幼婦女に遜れ
   善を行ふに勇なれ

昭和15年10月といえば、戦時の色彩の漸く色濃くなり始めた時期であった。そのなかで、いささかの軍事色をもとどめぬ、この「塾長訓示」は学問教育の府として義塾の在り方を示したといえる。たまたま昭和17、8年頃、慶應外語の講師として三田に出講していた英文学者福原麟太郎は、教室に貼られたこの掲示をみて、当時において大学人の勇気ある発言として讃えられたことが伝えられている。