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[慶應義塾豆百科] No.79 福澤諭吉展

福澤先生が生まれたのは天保5年12月12日、西暦1835年1月10日である。従って昭和60年(1985)は生誕150年に当たって義塾ではさまざまな催しが企画実行された。それに新しい1万円札の顔として、先生が登場したこともあって、一種の福澤ブームが起こったこともあった。このためこのブームに便乗し、それにあやかりたいとする商魂も、気になるところであった。けれども世間の風潮がそうであるほど、福澤像の正しい理解を求める努力を、慶應義塾としては怠るべきではあるまい。幸い三越の協賛を得て、本塾主催の下に、昭和59年10月9~21日まで東京日本橋の三越本店、同年12月29~翌60年1月13日まで大阪支店、同4月2~7日まで横浜支店で開催された福澤諭吉展はこの機会に改めて福澤への再評価を求め、多くの関係資料・遺品等の展示を通じて、広く社会に訴える意図を持っていた。

ところで過去の福澤展の歩みを辿ると、先生歿後の本格的な展示としては昭和6年(1931)、石河幹明の手で8年近い歳月を費やして編纂された『福澤諭吉傳』全4巻の草稿が、ようやく脱稿の運びとなったのを記念して、同年11月21~23日まで、本塾図書館で開催したのが、おそらく福澤展の嚆矢であろう。続いて8年には、岩波書店から公刊された『福澤諭吉傳』全4巻の完結と、引き続き着手した『續福澤全集』の刊行を記念した福澤展が同年6月23~27日まで日本橋高島屋において催された。これが塾外での最初の福沢展である。また翌9年は先生生誕百年に当たり、1月10日の誕生日を中心に三越大阪支店を会場に福澤展が開かれた。また昭和8年11月には生誕100年と日吉キャンパス開設を記念した多彩な行事の一環としての福澤展が、2、5、6日の3日間、本塾図書館で開催された。その後の大規模な福沢展としては戦後のことになる。即ち、先生50回忌(昭和25年5月)、義塾創立100年(昭和33年11月)、『福澤諭吉全集』完成(昭和39年4月)を記念して、いずれも日本橋三越本店を会場として行われたものがそれである。なかでも創立100年の福澤展は、戦後福澤宗家から義塾に寄託(資料目録完成後、受贈)された新資料の公開をも含めて、450坪の広い会場に展示された大がかりな展覧会で、2週間の会期中に参観者は40万人を越えた。

昭和59年から翌60年にかけての3会場でのこの「生誕百五十年記念福澤諭吉展」は、<黒船来航から独立自尊へ>の歩みを主題として2つの柱で構成されていた。1つは洋学を学び、明治に至るまでの間3度の外遊によって直接ふれることで得た西欧体験を基礎とした福澤の思想形成から、日本近代化に向かったその実践活動にいたる局面である。もう1つはその実践活動の成果として輩出した人材、即ち文明開化の先駆的な役割を果たした門弟たちの歩みである。これらの参観者の総数は延べ5万人を越えるものであった。

なお、平成13年(2001)に福澤先生の没後100年を迎え、2/3のご命日を挟んで1/29から2/10まで東京(銀座・和光ホール)にて「福澤諭吉没後100年記念展」が開催された。テーマを「世紀をつらぬく福澤諭吉」と題し、人間観、教育論、コミュニケーション論、女性観、社会観、科学思想の6つのテーマに分けてわかりやすく説明し、入場者は1万5000人を超えた。最終日には天皇皇后両陛下も見学された。また同展は好評につき、同年8/22から8/28まで大阪(阪急百貨店うめだ本店)にて東京と同様の内容で開催され、1万3000人を集めた。