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[慶應義塾豆百科] No.72 図書館のスティンドグラス

図書館旧館のスティンドグラス(原画:和田英作、源制作:小川三知、復元:大竹龍蔵)
三田に学んだものにとって、図書館(旧館)の赤レンガの八角塔は、いつまでも学窓への限りない郷愁をかき立ててやまない。と同時に1度でも同館の玄関に足をふみ入れたものには、1階から2階へ上る階段の正面にはめこまれた色鮮やかなスティンドグラスの存在をこれまた忘れることはあるまい。これは設計の当初から予定されていたが、実際に完成を見たのは大正4年(1915)のことであった。原画は和田英作、施工は小川三知であった。高さ6.45メートル、幅2.61メートルの大作で図柄は甲冑に身を固めた武将が馬から降りて、ペンを手にした自由の女神を迎えているところで、下部にはラテン語でCalamvs Gladio Fortior(ペンは剣よりも強し)の文字があり、その左右には義塾創立の年(1858)と図書館建設の計画がなされた50年記念の年(1907)とがローマ数字で記されている。原画を描いた和田の談話によると、「図は今、封建の門扉をパッと開いて旭日燦たる光とともに、泰西文明のシンボル女神が、塾章ペンを手にして入ってくるところ、弓矢を持ったミリタリズムの表徴たる鎧武者が白馬を降りて迎えている。下方に叢生しているのは笹や茨棘で、今後泰西文明に依って開かれようとするカルチュアー少き荒野の様、女神の足下に飛び立っているのは梟で、旭日の光から遁れて暗きにさるもの、凡そ我国近代文明の暁を示す姿である。」(『三田新聞』昭和5年2月4日付)とある。また実際の施工に当った小川も米国で修業を了えて帰国したばかりであった。それだけに両人のこれにかけた情熱は非常なもので、当時の日本人の手になる作品としては抜群の出来栄えだといわれていた。『慶應義塾図書館史』には「青い壁面に依る稍々薄暗いホールから階段に面するとき、この色彩眩ゆいスティンドグラスには恍惚とした崇高さにうたれ、学問の深奥にわけ入ろうとする大学図書館の入口にふさわしい雰囲気をかもした」とある。しかし、これらはすべて戦災により焼失してしまった。幸い図書館は戦後間もなく修築が完成したが、スティンドグラスまで手が届かずにいたところ、その昔小川の助手としてこの制作にかかわった大竹龍蔵からぜひ復元させてほしいとの申し出に接し、谷口吉郎の助言のもとにこれの復元に着手し、昭和49年11月見事にこれの完成を見たのであった。なおこの制作に生涯をかけた大竹は完成直前に急逝し、文字通り彼の遺作となった。