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[慶應義塾豆百科] No.68 開校記念日

『慶應義塾學報』(明治42年)
4月23日は慶應義塾の開校記念日である。この日を義塾の開校記念日と定めたのは、明治42年のことであった。制定の経緯については、同年5月に発行された『慶應義塾學報』に次のように記されている。

 慶應義塾が芝新銭座より現今の三田2丁目に移転したるは、去る明治4年4月23日(旧暦にて3月23日)なれば、義塾にては本年より毎年此日を開校記念日として、休校の上、様々有益なる催しをなす事とし、同時に従来毎年9月に行ひし寄宿舎記念祭をも同日に行ふ事となせり。

さらに同年4月22日付の『時事新報』でも同じことが報ぜられているが、それには催物として、講演会、展覧会、園遊会がその日に挙行された旨が追記されている。

ところでそれとは別に、この日を義塾の開校記念日と定めたことには、今日の目から見ていくつかの問題が残る。その第一は、4月23日という日の設定に当たって、旧暦を陽暦に換算したとあるが、明治4年の3月23日を陽暦にすると、5月12日が正しいことになる。どこでこんな単純なミスを生じたか分からないが、強いて探せば4月23日が旧暦3月23日に当たるのは前年の明治41年である。或いは開校記念日の制定に当たって、前年の暦によったともいえなくもないが、あくまで憶測の域をでない。

いま一つの問題は、新銭座から三田の現在地に移転したのが、旧暦の3月23日だとする史料的根拠がきわめて薄弱な事である。この移転に関して最も信頼できる史料は「荘田平五郎日記」であるが、それによると、4年の1月16日から一部の引越しが始まり、2月の16日の集会でいよいよ三田移転のことを決し、同21日には荘田自身が引越し、塾総体が三田に移ったのは3月16日とある。また『慶應義塾五十年史』でも「義塾が新銭座より悉皆三田丘上へ移り了りしは明治4年3月16日なりし」とあり、その限りでは3月16日をもって移転の記念日とするのが最も妥当のようにも思えるのだが、それがどうして3月23日とされたのか。あまりそんな詮索をしないのが、いかにも慶應だといえなくもない。ともあれ義塾にとって、三田に本拠を定めた事の意義を改めて考える日でもあろう。