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[慶應義塾豆百科] No.43 ペンの記章

ペンの記章は、いうまでもなく慶應義塾の校章である。そして、それはただペンを2つ、斜めに交叉しただけの、まことに簡素なものであるが、それでいて、これほど端的に学塾の姿を象徴したものはないといってよかろう。

それに、これが制定されるまでのいきさつがまた、いかにもおもしろい。すなわち、はじめは別に慶應義塾として正式にこれを定めたというわけではなく、塾生有志の間で勝手に使われだしたものが、いつの間にか塾当局の公認するところとなって、ついに今日にいたったという次第で、無造作といえばきわめて無造作であるが、そこにおのずからなる義塾の義塾らしい鷹揚さがあるというものであろう。

なんでも、このペンの記章の創造者だと自称する人びとの懐旧談によると、明治18年頃のこと、塾生の有志数名がおそろいの洋服を新調し、帽子を着用におよんで得意然と闊歩してみせた。ところが、当時はまだそのような服装がいたって珍しく、留学生かなにかと見誤られるといった滑稽もあって、早急に帽章の必要を感じ、ちょうどそのころの教科書(詳細不明)の1つに「ペンには剣に勝る力あり」という句があったところから、これこそ学生の記章として最もふさわしいものと考え、さっそくペンをつけることにしたという。おそらく、そのときのことでもあろうか。同年の12月21日付『時事新報』にも、次のように報じたものがある。

府下芝三田2丁目なる慶應義塾の生徒は従来大抵和服を着用し居たりしが、今度生徒中の過半が申合せて一斉(そろい)の洋服に改め、其帽子には前面に洋筆(ペン)を交叉したる徽号(しるし)を附することとなし…

しかも、これがやがて正式のものとなり、明治33年には特に大学部の塾生に対し、「記章附帽子」着用のことが告示されたりしている。また、「ペンは剣よりも強し」の語句も義塾のモットーとして標榜され、それをあらわした三田の図書館の大スティンドグラスは、義塾を象徴するものの1つになっている。