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[慶應義塾豆百科] No.22 考証・天は人の上に人を造らず……

慶應義塾発祥の地記念碑にある「天は人の上に人を造らず・・・」
日本の子供たちが、福澤諭吉の名をまず覚えるのは、慶應義塾の創立者としてよりも、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」という言葉の作者としてではないだろうか。

ところでこの言葉を『学問のすゝめ』の原文についてみるとき、一つ問題として残るのは、「……人を造らず」という言葉に続けて「といへり」とあることである。「といへり」とある以上、その出典は何かということが改めて問われることになろう。いわばこの言葉を日本語のひとつの成句として定着させた功績は福澤のものであるとしても、その意味する内容を福澤はどこから求めたか、ということである。

この出典の考察には、従来からいくつかの説があるが、最も有力なのは高木八尺、木村毅の両氏をはじめ多くの人々によって指摘されているようにトーマス・ジェファーソンによって起草されたといわれるアメリカの独立宣言の一節を意訳したという説である。原文にはこう記されている。
We hold these truths to be self-evident, that on all men are created equal on, that they are endowed by Creator with certain unalienable Rights, that among these are Life, Liberty, and the pursuit of Happiness.
(われわれは、自明の真理として、すべての人は平等に造られ、造物主によって、一定の奪いがたい天賦の権利を付与され、そのなかに生命・自由、および幸福の追求が含まれることを信ずる。—岩波文庫『人権宣言集』)

福澤がこの独立宣言をすでに読んで知っていたことは、慶應2年に刊行された『西洋事情』巻之二の「亜米利加合衆国」の項にふれていることからも明らかで、彼はこう書いている。

「天の人を生ずるは億兆皆同一轍にして、之に附与するに動かす可らざる通義を以てす。即ち共通義とは人の自から生命を保し自由を求め幸福を祈るの類にて、他より之を如何ともす可らざるものなり」と。

そのほか英文学者斉藤勇の指摘によれば、ミルトンの『失楽園』にもその最後に近いところで、“Man over men, He made not Lord”とあるという。ここでいうHeはGodで「神は人の上に人を君主として造り給わず」ということになるが、果たして福澤が『失楽園』を読んでいたかどうかは明らかではない。ともあれこの成句は、「門閥制度は親のかたき」と叫んだ福澤の生涯を、ある意味で象徴した言葉ともいえよう。