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[慶應義塾豆百科] No.14 塾

「塾」というのは、もちろん慶應義塾の「塾」のことである。あるいは、塾長といい、塾生という、その「塾」とも同義なわけである。

このように、義塾の関係者たちの間では、普通にこの「塾」ということばで「慶應義塾」が呼ばれている。いな、それは必ずしもひとり義塾の関係者たちだけに使われる略称というようなものではなくして、すでに世間一般の認めるところでもあった。

かりに、新村出編集の『広辞苑』(1955年・岩波書店刊、第1版)などを引いてみても、こうあった。

じゅく[塾]①門側の堂舎。②子弟を教授する私学舎。修学の子弟の寄宿所。③慶應義塾の略。

つまり本来は小規模な私学校を意味し、また寄宿舎のことをいった「塾」ということばが、いつしか慶應義塾のことをさすようになったものである。「お大師さま」といえば弘法のことをさすようなもので、義塾によっておよそ「塾」なるものの全般が代表されたかたちをとっていたといえよう。

しかし、もちろん慶應義塾といえども、はじめはやはり字義どおりの小規模な家塾にすぎなかった。場所も門側の堂舎でこそなけれ、江戸の築地鉄砲洲にあった中津藩奥平家の中屋敷内の長屋の一軒に発足し、しかも、次第に大きくなってのちもなお、当初のいかにも家庭的な情愛に満ちた塾風をながくもちつづけてきているのである。それに、寄宿舎という意味でも少なくとも明治初期ぐらいまでは、義塾でも学生は多くが寄宿生で、その寄宿舎への入退を「入塾」あるいは「退塾」といって、「塾」ということばがいわゆる塾舎の義に使われていたようである。

そして、創設以来つねにわが国における有数な学塾として発展をつづけながら、慶應義塾は相変わらず昔ながらの「塾」という名を伝え、今日ではむしろその伝統あるユニークな呼称に、いわば一種のほこりさえが感じられるのである。同時に、この「塾」ということばが関係者たちの間に、大変親しみの強いひびきをもって語られるのも故なしといえまい。