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[慶應義塾豆百科] No.100 造化と境を争う

福澤先生晩年の語に「造化と境を争う」とか「化翁を束縛す是れ開明」(いずれも原漢文)というのがある。造化も化翁も天地自然の働きのことで、別の言い方をすれば造物主と同じ意味である。だからこの語はその働きを人間の智力で制御しながら、自然の法則を人類の幸福のために発展させるのが文明化の目的なのだ、と言っているのである。

例えば、医学の分野でも、医薬の効能は自然の治癒力に及ばないという考え方もあるが、医師の仕事は自然の働きと人間の知恵との限りない競争であるから、医師はその知能のすべてを傾け尽くして、病気とのたたかい自然の力を解明して行くところに、学問の発達がありこれが文明の発達のなのだと言うのである。

これは晩年の著作である『福翁百話』や漢詩のなかに見られる主張であるが、実はこの考えは明治初年からすでに持っておられるのある。明治8年(1875)発行の『文明論之概略』では、早く天地間の事物をすべて人間の精神の内にとりこみ、これらを解明する時が必ず来るであろうとの、きわめて楽天的な世界観が見られる。月に人類が降り立つという今日の宇宙開発の現状は福澤先生にとっては、まさに物理学の勝利とみなされるのではなかろうか。

ひるがえって福澤先生が亡くなってから、あと数年で1世紀を経る今日、慶應義塾の発展はめざましいものがある。先生の念願であった理科系教育の端緒として、創立60年を記念して医学部が、同じく80年を記念して工学部(はじめは藤原工業大学)が開設されて、物理学を基礎とする有形の学問の充実がなされつつある。その工学部は専門分野の細分化もさることながら、各専門間の緊密な協力関係を重視すると共に、基礎科学のフィールドにも分野を拡大し、理工学部に発展している。

一方文科系の分野としては百年祭を記念して商学部が開設され、現代の産業社会を実証的に講究する視点が強調され、さらに創立130年には湘南藤沢という新しいキャンパスに総合政策・環境情報という2つの学部が新設された。この2つの学部は三田・日吉・信濃町という既存のキャンパスに新しい地域を加えたという事だけではなく、全く新しい学問観に基づいた、従来の諸学問の成果を横断的に再編成するという。社会問題解決の新しい切口を持った新学問分野の誕生を意味している。2008年、慶應義塾は創立150年を迎える。その年もそう遠くはない。