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[ステンドグラス] 慶應義塾の記念日

2008/04/01 (「塾」2008年SPRING(No.258)掲載)
慶應義塾では、開校記念日だけでなく、福澤先生にゆかりのあるさまざまな記念日が脈々と受け継がれている。これら記念日の由来やそれにまつわる行事を紹介する。

開校記念日(4月23日)

4月23日を義塾の開校記念日と定めたのは、創立50余年を経た明治42年のことである。同年5月発行の『慶應義塾学報』によると、「慶應義塾が芝新銭座より現今の三田二丁目に移転したるは、去る明治四年四月二十三日(旧暦にて三月二十三日)なれば、義塾にては本年より毎年此日を開校記念日として、休校の上、様々有益なる催しをなす事とし、同時に従来毎年九月に行ひし寄宿舎記念祭をも同日に行ふ事となせり」。
 
ただし、この日付には今日の目から見ると疑問が残る。第一に、明治4年の3月23日を陽暦に換えると、4月23日ではなく5月12日が正しいことになる。

第二に、三田への移転日の史料的根拠が弱いことだ。「荘田平五郎日記」によると、明治4年の1月16日から一部の引越しが始まり、義塾の総体が三田に移ったのは3月16日とある。『慶應義塾五十年史』でも「義塾が新銭座より悉皆三田丘上へ移り了りしは明治4年3月16日なりし」とあり、この限りでは3月16日を移転日とするのが妥当のように思えるが、なぜ3月23日とされたのだろうか。

いずれにせよ、このようないい意味でのこだわりのなさが、いかにも義塾らしいという見方もある。ともあれ、義塾の原点や草創期の人々に思いを馳せる一つの機会であることには違いないだろう。

ウェーランド経済書講述記念日(5月15日)

慶応4年は、福澤先生が塾舎を築地鉄砲洲から芝新銭座へと移し、時の年号をとって慶應義塾と命名された年である。『慶應義塾之記』と題する新たな教育宣言を発するなど、清新の気は塾内外に溢れていた。
 
一方、世間は戊辰戦争のさなか、同年5月15日は上野で官軍と彰義隊の戦闘が行われ、江戸市中が混乱の中にあった。『福翁自伝』によると、「芝居も寄席も見世物も料理茶屋もみな休んでしまって、八百八町は真の闇、何が何やらわからないほど」だった。

しかし、その喧噪の中、福澤先生は土曜日の日課であるウェーランド経済書の講義を悠然と続け、世の中にいかなる変動があっても、義塾の存する限り学問の命脈は絶えることはないのだと塾生を励ましたのだった。

義塾では、昭和31年学問教育の尊重を何よりも優先させた先生の精神を義塾の伝統としたいとする趣旨から「福澤先生ウェーランド経済書講述記念日」を制定。現在も毎年、三田演説館にて記念講演会が開催されている。
ウェーランド経済書講述記念講演会
▲ウェーランド経済書講述記念講演会
三田演説館
▲三田演説館

福澤先生誕生記念日(1月10日)

1月10日の「福澤先生誕生記念会」は義塾の新年の一大行事である。
 
例年1月10日は休校となるが、三田キャンパスでは塾生、塾員、教職員など義塾社中が一堂に会し、福澤家の方々もお招きして皆で福澤先生の誕生日をお祝いしている。当日は幼稚舎生による「福澤諭吉ここに在り」の合唱にはじまり、塾長の年頭所感、記念講演などが行われる。誕生記念会の後は、場所を移して「新年名刺交換会」が開かれるのが毎年の慣例だ。
 
福澤先生が誕生したのは天保5年12月12日(陽暦1835年1月10日)。没後10年から福澤家では1月10日に先生の誕生を祝うようになり、それにならって各地の三田会(義塾の卒業生である塾員の集まり)もこの日を記念日として集会を開くようになった。それまで三田会では先生のご命日である2月3日を記念日として、塾員一同が集まって生前の先生との思い出を語り合い、墓前に参るのがならわしだったが、「いつまでも先生の長逝を悲しんでいるのもどうか」という声もあり、ちょうど福澤家で定まった誕生日慶祝にならったわけである。その後、義塾でも1月10日を記念日とするようになった。
福澤先生誕生記念会
▲福澤先生誕生記念会
新年名刺交換会
▲新年名刺交換会

福澤先生ご命日「雪池忌」(ゆきちき)(2月3日)

2月3日の福澤先生の命日は「雪池忌」とも称され、塾生やその家族、塾員、教職員など、先生の墓前に手を合わせる参列者が朝からえることがない。

福澤先生は明治34年のこの日、三田キャンパス内にあった自邸で逝去された。満66歳、脳溢血だった。福澤先生の遺志を尊重して葬儀は義塾による塾葬とせず、福澤家の菩提寺である善福寺で行われ、霊柩は、生前の先生が自ら選定した上大崎の墓地に葬られた。この墓地は当時、本願寺が管理していたが、明治42年に芝増上寺(浄土宗)の末寺である常光寺が移転してきたため、以降、常光寺の墓地として長く親しまれてきた。晩年の先生は三田近郊をよく散歩していたが、その際、高台で眺望のよい上大崎のこの地を気に入ったようである。

しかし、福澤家はもともと浄土真宗であったため、昭和52年墓所が常光寺から善福寺に移された。常光寺の墓所跡には、記念碑「福澤諭吉先生永眠之地」が義塾によって建てられている。
 福澤先生ご命日「雪池忌」
 福澤先生ご命日「雪池忌」

 福澤先生ご命日「雪池忌」