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[ステンドグラス] 三色旗あれこれ

2007/07/01 (「塾」2007年SUMMER(No.255)掲載)
早慶戦で神宮球場に力強くはためく「Blue red and blue」の塾旗。
義塾のビジュアルシンボルとして、
式典・行事、塾員の集まりなどで掲揚されている。
今回は、多くの人々から親しまれている塾旗の来歴をめぐる
さまざまなエピソードを紹介する。

塾生の考案から生まれた三色旗

多くの人々から「三色旗」と親しまれている塾旗だが、「三色」といっても、実際は青と赤の2色を3段に配したデザインで、もともと慶應義塾が公式に制定したものではない。ペンマークと同様に塾生の考案によるもので、それが歳月を経て次第に塾生の間で広まっていったようだ。三色旗が塾旗として”公認“されたのは、どうやら鎌田栄吉塾長が就任した1898(明治31)年頃のことらしい。
 
1930(昭和5)年に鎌田元塾長が語ったところによると、塾長就任当時、運動会などで使用していた紅白幕の白地が汚れやすく不経済という理由で浅黄色に変えられた。「其の頃丁度又塾の旗が必要だと云ふので兎角の考案も出たが、私は矢張前の幔幕と同様に浅黄と紅を取合わせたものがよからうと申したので、夫れにペン章を付けて今現に使用してゐるやうな三色旗が出来た」。だが、それ以前にも塾生たちが三色旗を「塾旗」として使っていた形跡がある。たとえば、1894(明治27)年11月、塾生が日清戦争における旅順口陥落祝賀のカンテラ行列を行ったことが『時事新報』の記事になっており、その行列に国旗と共に塾旗がひるがえっていたことが記されているのだ。また、同年12月刊の『風俗画報』第82号にもこの行列のことが絵入りで報道されており、そこには色彩こそ不明ながらペンマークを付して3段に色分けした塾旗のイラストが掲載されている。やがて浅黄色は青に変わり、明治40年代には「Blue red and blue」が義塾のスクールカラーとして広く用いられるようになった。
 
塾旗はいわば自然発生的に生み出されたものだけに、長らくその色彩や形・サイズの規格がまちまちだった。そこで1964(昭和39)年に「塾旗の基準について」として初めて寸法・色、ペンの型・位置、三色の割合が明確に定められた。その後、1992(平成4)年には義塾のサービスマークとして商標登録がなされ、法的にも保護されている。そして義塾創立150年を前に、2005(平成17)年にはペンマーク、エンブレム、三色旗の三つのシンボルのVI(ビジュアル・アイデンティティ)ガイドラインが完成。多くの方が塾旗をはじめとした義塾のシンボルを利用しやすいようになっている。なお、VIガイドラインは、ウェブサイト(http://www.keio.ac.jp/ja/about_keio/vi/viguideline/download.html)からダウンロードが可能。使用申請もウェブ上で行うことができる。
三田演説館
三田演説館
塾監局(三田キャンパス)
塾監局(三田キャンパス)

キャンパスから宇宙空間まで

1958(昭和33)年の義塾創立百年の元旦、図書館旧館の南隣にある塾監局の屋上に塾旗が初めて掲揚され、以来、義塾の記念日や式典、行事などの際の塾旗掲揚が習いとなった。現在でも、記念日などにそれぞれのキャンパスで空にひるがえる塾旗を目にする機会は少なくない。各キャンパスで塾旗が掲揚される場所は次の通りである。
【三田キャンパス】塾監局屋上、東館、三田演説館入口、南校舎入口
【日吉キャンパス】日吉記念館屋上
【矢上キャンパス】創想館屋上
【湘南藤沢キャンパス】A館(本館)前
 
塾生なら誰もが入学式で日吉記念館の壇上に掲げられた特大サイズの塾旗を目にしたことがあるはずだ。この旗の寸法は縦3.3m×横6m。しかし、最大の塾旗は三田キャンパス西校舎ホール・北館ホールに掲揚される旗で、縦がやや長く4.1mある。なお、式典等の際には三田演説館、信濃町キャンパス新棟大会議室・北里講堂、湘南藤沢キャンパスΘ館などでも壇上に塾旗が掲げられる。

東京六大学野球で神宮球場にひるがえる塾旗は、義塾から應援指導部に貸与されているものだ。現在、同部は12畳旗と称される「幻の大塾旗(3.7m×4.6m)」「大塾旗(4m×4m)」「新世旗(3.6m×4m)」など、9本の塾旗を所持している。「幻の大塾旗」は、もともと固定旗として作られ、人間が持ち上げることを想定していない非常に重い旗だが、部員が3名がかりでスタンドでの掲揚に挑戦している。

もっとも遠くまで行った塾旗といえば、1994(平成6)年・1998(平成10)年に塾員で日本初の女性宇宙飛行士である向井千秋氏(1997年医学部卒)がスペースシャトル搭乗時に持参したものだろう。帰還後には三田や信濃町で塾旗返還式が行われている。

塾生の発意から生まれ、時を超えて受け継がれてきた塾旗。それは単なるシンボルではなく、脈々と受け継がれる「独立自尊」の理念を体現する存在といえるのではないだろうか。
日吉記念館
日吉記念館
湘南藤沢キャンパス
湘南藤沢キャンパス

入学式
入学式

應援指導部塾旗練習
應援指導部塾旗練習
向井氏の母校である女子高等学校の生徒たちと
向井氏の母校である女子高等学校の生徒たちと