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[ステンドグラス] 塾歌とカレッジソング

1998/11/01 (「塾」1998年NOVEMBER(No.215)掲載)
キャンパスライフのさまざまな体験とともに、学生時代の思い出として長く心に残るのが
校歌やカレッジソングと呼ばれる歌ではないだろうか——
これらの曲は、外に向かって大学の個性やカラーを主張し、内にあっては強い求心力となる
慶應義塾でも塾歌と呼ばれる校歌といくつかのカレッジソングが歌い継がれている
今回は“歌”に焦点をあて、その歴史的経過をたどってみたい

- 塾歌制定の経緯

慶應義塾塾歌の譜面
慶應義塾塾歌の譜面
 現在の塾歌は富田正文の作詞、信時潔の作曲により、昭和15年11月初旬に完成したものである。塾歌委員会で正式に採択され、翌16年1月10日の福澤先生誕生記念会当夜、三田の大講堂で発表された。
 これ以前に塾歌がなかったわけではない。初めて塾歌が作られたのは明治37年3月、義塾創立50年を迎えようという時期であった。「天にあふるる文明の」という旧塾歌の作詞は角田勤一郎、作曲は金須嘉之進により、同月5日に完成発表されている。まだ一般に校歌が歌われていない時代であり、義塾はその先鞭をつけたものといえよう。
 塾歌制定の要望は、この数年前からすでに起こっていた。明治33年3月3日の卒業式当日、芝山内三緑亭で卒業生送別会を兼ねて開かれた大学倶楽部大懇親会の席上、講師高木正義は「義塾の大学をして益盛ならしめんとせば、此種の会合に於いて会衆の連唱す可き極めて人心を鼓舞する力ある塾歌を作るに 若かず」と説き、さらに同年11月刊の『慶應義塾學報』第33号には、後年の経済学部長気賀勘重が「溶々」と号して塾歌に擬する歌を寄せるなどのことがあった。
 こうして、明治36年には義塾当局が塾員・塾生に広く呼びかけて塾風を表明すべき塾歌を募集ることになり、同時に、塾生の有志によって組織されていた三田懇話全でも、会の事業として塾歌募集を決議した。また、同年10月3日の寄宿舎記念全では、塾歌 が歌われた事実が報じられている。「慶應義塾之歌」と題するもので、高橋誠一郎名誉教授の塾生時代の作ということである。
 その後、大正15年に改めて新塾歌制定の提案が出され、塾生に歌詞を懸賞募集したこともあったが容易に決まらなかった。昭和11年5月20日、当時大学文学部講師をしていた富田正文に作詞を依頼した。富田は推敲に推敲を重ねて歌詞を作り上げ、東京音楽学校教授信時潔が曲を付して、現在の塾歌が誕生したのである。

- 「若き血」と「丘の上」

 どの大学にも、独自のカレッジソングがある。校歌と違い、カレッジソングは学生たちによって愛唱されることが必須の条件となる。慶應義塾でも、これまで多くの歌が生まれ、また消えていったが、その中で今なお歌い継がれている主な歌が「若き血」と「丘の上」である。
 「若き血」の誕生は昭和2年であった。当時の予科会の学生たちが自らの意思で発議し、塾出身の音楽評論家野村光一に相談した結果、野村の推薦で堀内敬三に作詞作曲を委嘱したものである。その頃、堀内は東京中央放送局(現在のNHK)の洋楽主任で、アメリカから帰朝したばかりの新進気鋭の音楽家であった。堀内によると「歌い始めの文句を元気のよいものにしたい」と考えた末に選んだのが「若き血に燃ゆる者」だったという。従来の七五調や五七調を無視し、5・5・6・3の破調の字配りとなったのは、作曲の都合によるものだったが、塾生たちにはきわめて新鮮な感覚と映ったようだ。また、当時普通部生として藤山一郎(本名増永丈夫)が在籍しており、彼の歌唱指導がこの新応援歌を「実質以上に美しい歌」にしたと堀内自身が語っている。さらに、この歌が誕生したシーズンに初めてラジオで早慶戦の実況放送が行われ、野球部が復活後初めて早稲田を神宮球場で連覇したことも、親しまれる大きな理由となった。
 そして、この成功に気を良くした予科会が、翌昭和3年に作ったのが「丘の上」である。作詞青柳瑞穂、作曲菅原明朗の名コンビで生まれたこの曲は、メロディとゆるやかなテンポが、肩を組んで勝利の美酒をかみしめるに ふさわしかったことから、その秋の六大学野球リーグ戦で10戦10勝を記録したのをきっかけに、早慶戦に勝った時だけ歌う歌として、塾生の愛唱歌にすっかり定着した。この二つの歌は誕生以来すでに70年以上を経過しているが、今も塾生のみならず広く、塾員にも歌われている。

- その他のカレッジソング

 義塾のカレッジソングは多々あるが、カレッジソングなどとは意識せずに、歌っている歌がある。それは「ダッシュケイオウ」(昭和41年作)である。
「早稲田をたおせ、早稲田をたおせ」
と連呼し、
「勝つぞ、勝つぞ、慶應」
と早慶戦のたびに歌い叫んでいるに違いない。
 1月10日の福澤先生誕生記念会で幼稚舎生が歌っているのは『福澤諭吉ここにあり』(佐藤春夫作詞、信時潔作曲)である。昭和39年、幼稚舎が創立90周年を迎えた記念に、当時の池田彌三郎理事の強い指示で作られたものである。また、同じ記念会でワグネル・ソサイエティ男声合唱団が歌う『日本の誇』は、塾歌と同様、富田正文作詞、信時潔作曲により、昭和9年福澤先生百年祭の記念歌として作られた。


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