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[ステンドグラス] 義塾の歴史を飾った諸学校

1997/07/01 (「塾」1997年JULY(No.206)掲載)
戦後、学制改革によって、わが国の学校教育制度は大きく変わった。
新しい教育制度のもと、慶應義塾も昭和22(1947)年以降、それまで続いてきた全ての学校を新制学校へと切り替えていった。
その中には、残念ながら廃校となってしまった学校もある。
ここでは、義塾の歴史を飾り、その教官活動の一端を担ってきた“幻の学校”を紹介。
大学付属医学専門部
昭和19(1944) 年、太平洋戦争末期の戦局の拡大に伴う軍医需要の拡大と応召による臨床医の不足に応えるために、臨床医の短期養成機関として大学に付設。戦後の新学制では医学の専門学校は認められなかったため、昭和22年度から新人生徒の募集を取りやめ、在学生の卒業を待って廃止された。
 
獣医畜産専門学校
明治38(1905)年に設置され、同24(1949)年に慶應義塾農業高等学校に転換。卒業生総数356名。
 
商工学校
明治38(1905)年に開設、昭和24(1949)年3月に廃校になるまで45年の歴史を有した。創立以来の卒業生総数は5873名。
 
商業学校
明治24(1891)年に夜学校として創立。新学制のもと、昭和23(1948)年に、60年近く続いた歴史の幕を閉じた。
 
工業学校
昭和19(1944)年、商工学校及び商業学校の生徒募集停止を受けて、昼夜二都制の工業学校として開設。同24(1949)年に廃止。
 
高等部
大正11(1922)年に専門部として発足、同14(1925)年に高等部に改称。以来、昭和19(1944)年に生徒募集を停止し、在校生の卒業を待って廃校となるまで、三年制の専門学校として存続。一貫教育を標榜する義塾内にあって、完成教育を実践するユニークな存在として知られていた。
義塾の歴史を飾った諸学校
左:商工学校校舎  中央:昭和7年当時の三田キャンパス  右:大学および高等部の校舎(三田)
獣医畜産専門学校教室風景
獣医畜産専門学校教室風景
商業学校授業風景
商業学校授業風景
明治26年商業学校卒業生
明治26年商業学校卒業生

医学部専門部事務所
医学部専門部事務所
商工学校実験室
商工学校実験室
獣医畜産専門学校生徒の実験風景
獣医畜産専門学校生徒の実験風景

商工学校卒業生寄贈の「独立自尊の時計塔」(三田稲荷山に昭和50年に建立された)
商工学校卒業生寄贈の「独立自尊の時計塔」(三田稲荷山に昭和50年に建立された)