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[半学半教] 「考えないこと」を考える(文学部教授 柳田利夫)

2012/01/16 「塾」2012年WINTER(No.273)掲載
※職名等は掲載当時のものです。

二学年合わせて十数人の小さなゼミで、「自分自身」が近代史の枠組みの中でどのように位置づけられるのかを考えています。

柳田 利夫(やなぎだ としお)文学部日本史学専攻 教授

研究会の皆さん
二世の娘の「もう一回日本に行くんだよね」という優しい励ましの言葉に、それまで周囲の呼びかけに興味も反応も見せず静かにベッドに横たわっていた彼女が、突然娘を叱るような厳しい声で叫ぶ。
「行くんじゃないよ! 帰るんだよ!」
十七歳でペルーに渡航してから七十年以上の歳月が流れ、数年おきに日本へ「行く」ことを楽しみに生活していた彼女が、今、朦朧とする意識と失われつつある記憶の中で、日本へ「行く」という言葉に強く反発し、日本へ「帰る」と叫ぶ。

私自身の問題関心は、あたりまえのこと、意識すらされないことを、ある特定の時間と空間において生成された歴史事象として捉え直し、現在に連なる近代史の枠組みの中に位置づける、というところにある。移住という現象を研究の主な素材にしているのも、あたりまえがあたりまえでない世界に直面し、自分自身を新しい空間に位置づける必要に迫られる移住者が、それまで考えなかったことを考えることを通じて、自らのアイデンティティ生成へとつなげてゆくからである。このメカニズムに、近代国民国家の形成という「大きな歴史」を被せたときに、私たちの「小さな近代史」はどのように立ち現れてくるのか、そんなことを考えながら勉強を続けてきた。

近世の出稼ぎ、幕末・維新期の国内移住、戦前戦後の海外移住から現在の日系人の日本への出稼ぎ、日本国内からハワイ、メキシコ、ペルー、ブラジルへと、故郷を離れたさまざまな人々の跡を追いかけてここまで来てしまった。拡散した時間と空間をつなぎ止めているのは、自分もまた移住者である私の、猫のような好奇心だけである。

自分自身と付き合うのに精いっぱいの私にとって、研究会は、それぞれ異なった経験を重ねて来た学生たちが、考えること、考えないこと、議論の中で紡ぎ出す言葉、眼差しなどをゆっくりと咀嚼し、現代史の枠組みの中に読み込んでゆくための大切な学びの場となっている。

時代をつかむ

木野 涼介(きの りょうすけ)
文学部 日本史学専攻3年
私たちのゼミでは、日本近現代の特定の時代や分野の論文を講読し、議論することを通して、それぞれの時代の枠組みを捉えようと試みています。春学期には、明治期の近代天皇制の確立や、戦後の高度経済成長期における工業開発などについての論文を並行して扱いました。
難解な論文が多く、準備は大変ですが、一つ一つの論文を繰り返し読みこんでゆくと、頭の中で個々の事象がダイナミックに結びつき始め、そこから近現代を通底する構造性が見えてくるように感じます。現代の事象を扱う際には、その時代を体験された先生とゼミ生の間で、それぞれの身近な経験を振り返りつつ、それが時代の中へどう位置づけられるかを考える議論がなされたりします。
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