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[研究最前線] 人と人、人と世界の絆を、「スピリチュアリティ」をキーワードに探る(文学部准教授 樫尾直樹)

2011/10/03
樫尾 直樹 文学部准教授
自然や宗教的な聖地が、人にエネルギーを与えてくれるという、いわゆる「パワースポット」が人気を集めるなど、スピリチュアリティに対する注目が高まっています。樫尾准教授は、宗教社会学、文化人類学などを研究分野とし、新しく興る宗教とは何か、スピリチュアリティとは何かなどについて、禅や瞑想体験の実践も踏まえ、従来の学問手法にとらわれることなく研究を続けています。

※職名等は掲載当時のものです。

樫尾 直樹(かしお なおき)

樫尾 直樹 文学部准教授
1986年慶應義塾大学経済学部卒業。1995年東京大学大学院人文科学研究科博士課程単位取得退学。早稲田大学人間科学部助手、東京外国語大学外国語学部助手などを経て、現在慶應義塾大学文学部人文社会学科社会学専攻准教授。「スピリチュアリティ」をキーワードに現代人の人間関係、絆のあり方、さらには宗教的意識・文化を研究。授業もユニークで、その模様は単行本『マイケル・サンデルが誘う「日本の白熱授業」へようこそ』で取り上げられた。著書・編著に『スピリチュアル・ライフのすすめ』『スピリチュアリティ革命』『スピリチュアリティを生きる』など多数。

時空を超えた普遍的な問いかけ

久高島ピザ浜
手つかずの自然が広がる久高島ピザ浜。こうした自然は民俗宗教の宗教性の源泉だという。(樫尾准教授撮影)
──まず、「スピリチュアリティ」とは何なのでしょうか。

スピリチュアリティとは、ひとことで表すと、「この世界や人間を超越した力、あるいは存在」であり、「宗教の本質」であるといえます。日本語では「霊性」と表現されています。スピリチュアリティは、心を超えた高次の意識であり、生の実存的な意味の追求であるとも考えられていますが、それは現代に限ったことではなく、人類が誕生以来探求している普遍的なものといえるでしょう。
スピリチュアリティには、「哲学的欲求」と「宗教的欲求」があると考えられています。「哲学的欲求」とは、人生の目標、意義や意味、人間はどこから来てどこへ行くのかなどの主題とその意味づけであり、「宗教的欲求」には、超自然の存在や神、永遠の生命などの主題と意味づけがあるとされています。いずれも時空を超えた普遍的な問いかけだと考えることができます。

──最近のスピリチュアリティへの関心の高まりについては、どのように考えますか。

現代は、スピリチュアリティ文化を担ってきた宗教が力を失ってきていますが、目に見えないけれど時空を超えたものへの関心まで失われたわけではなく、医療、食、エコロジー、教育など、さまざまな社会の文化領域を横断する精神文化のひとつとして、関心が高まっているのだと思います。
1960年代以降、米国、英国など欧米先進国で関心が高まり、日本では80年代から末期がん患者の終末期医療、福祉、自然との共生、命の大切さなどとの関係で広がりをみせ、2000年代以降、テレビなどのメディアを通じて、いわゆる「スピリチュアル・ブーム」が起こりました。しかし何の検証もないまま霊的な事柄が当たり前のように取り上げられる傾向もみられるようになり、ある種の危うさにつながりかねない懸念もあります。

──いわゆる「パワースポット」も盛んにメディアで取り上げられています。こうした社会文化背景をどう捉えていますか。

沖縄本島の御嶽(うたき)や離島の久高島、伊勢神宮や熊野古道など、伝統的な宗教的聖地や森などの豊かな自然あふれる固有の場所を「パワースポット」としてもてはやすようになったのは1980年代半ば以降です。
もともとこうした場所は、広大な自然や、樹齢数百年以上の木々が茂る森があるなど、訪れるだけでリフレッシュできるものです。ストレスフルな生活から抜け出して活力を得たい、癒されたいと訪れるわけで、言ってみれば、ケガレ(気枯れ)た自分にケ(気)を取り戻しハレの時間を求めるという、人類固有の普遍的欲求の現代的表出とみなすことができます。

理論だけではなく、瞑想体験を研究テーマに

第29回円仏教思想研究院学術大会にて
第29回円仏教思想研究院学術大会で「現代仏教の社会文化的可能性─宗教性の多層的状況と日韓比較の視点から─」という題目で発表(2010年1月)
──スピリチュアリティの研究に取り組むことになった経緯をお聞かせください。

私は、慶應義塾大学の経済学部で社会思想史を専攻しました。ここで、社会学の基礎を築いたマックス・ウェーバー、ヨーロッパの資本主義確立期の研究を通して大塚史学と呼ばれる体系を築いた大塚久雄、フランスの宗教社会学研究者であるエミール・デュルケムなどを読み込みました。この勉強を通じて、「宗教が人間の絆を作っていく上でいかに重要なテーマであるか」を改めて知り、東大の大学院に進学して「宗教学」の研究に取り組みました。
修士課程の終わりごろから、宗教理論の研究だけでなく、人類学、民俗学的なフィールドワークに興味を持ち、新潟県の佐渡で行われている民俗例祭「つぶろさし」などの研究を始めたのですが、そこでは宗教のもつヴィヴィッドなパワーをあまり感じることができず、むしろ新宗教に、現代人の求める宗教性を探るアクチュアリティを見出しました。
そこで、29歳のとき、フランスにおける日系新宗教を素材に、教団のメンバーがどのように共同性を形成するかなど、信者のスピリチュアリティの研究に取り組んだのです。実践的に調査取材を進める過程で、スピリチュアリティについて知識では分かっていても、身体で分かっていないことに気付きました。

──どんなことが分かっていなかったと思われたのですか。

スピリチュアリティとは、人と世界がもともと一つのものであり、見えない絆で結ばれていることを知ることです。たとえば、この世界が宇宙のビッグバンで誕生したとしましょう。そうしてできた世界は、長い時間を経て、花や木や石、虫、人間という風に分化してきました。ここで重要なのは、私たちはもともと一つであるという一元性が内面化され、生き方に現れることです。それが頭だけの理解にとどまっていたのです。
そこで、どうしたら知識だけでなく身体で理解できるようになるかを考え、2009年6月に韓国の釜山で坐禅による瞑想を始めました。その後、道教瞑想や上座仏教のヴィパッサナー瞑想、ヨーガの基本、韓国の禅宗など、さまざまな瞑想方法を実践・体験し、「比較瞑想論」という新しい研究テーマに取り組むことになりました。

対話型授業で宗教や人生の意味を考える

樫尾 直樹 文学部准教授
──授業での取り組みについて教えてください。

私の授業はグループ・ディスカッションを基本としています。取り上げるテーマはその年ごとに違いますが、たとえば初回には、「君たち、宗教と聞いて何を連想する?」というところから始めます。学生たちの答えは、「怪しい」、「お金」、「神社」、「心の支え」など、ネガティブ、ポジティブの二つに分かれていく。なぜ、宗教というと正反対の方向に分かれるのかなどをディスカッションさせ、最終的には、学生自らにその答えを考えさせていくのです。学術上の定義を覚えさせるのではなく、自分たちの日常用語、日常会話の中で「宗教とは何か」を捉えさせるようにしています。
こうしたディスカッションと自答を通じて、宗教的なものと、非宗教的なものを区別して捉えられるようにしていきます。さらに、教団としての宗教とは何かまでを考えていきます。昨年の後期の授業では「宮崎駿アニメの宗教性」についてディスカッションさせるなど、さらに宗教とは何かについて深く掘り下げていきました。

──授業では、実際に瞑想体験などを取り入れることもあるのですか。

今年は、前期で「新しい宗教社会学の可能性」についての講義を行い、後期で「瞑想体験」を実践する計画です。これまで実験授業として日吉キャンパスで行ったことはありますが、三田キャンパスで坐禅を実際に授業に取り入れるのは初めての試みだと思います。

──これからの研究テーマについてお聞かせください。

釜山でさまざまな瞑想体験をする機会があったとお伝えしましたが、身体実践を通じた「比較瞑想論と儀礼の一般理論構築」が私にとって重要なテーマとなっています。瞑想や儀礼は、それぞれの宗教によってその方法に違いがありますが、私はこうした瞑想や儀礼は、密接な人間関係をつくり外の世界との絆を強固にする文化装置だと考えています。これまではさまざまな宗教の行う瞑想や儀礼が、どんな絆をもたらすのかについての研究は行われてきませんでした。また、それぞれの儀礼の身体的意味も検証してみたいと考えており、電気生理学や医学など、自然科学の研究者と協働する予定です。過去の文献をひもといて儀礼がどのように言語化されてきたかなど、多様な宗教をさまざまな角度から比較研究することによって、宗教的なものがつくり出す絆についてより深く探求できるものと考えています。
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