メインカラムの始まり
[研究最前線] 文豪ゲーテの多彩な貌~ 「自然研究者」としてのゲーテを浮き彫りに~(商学部教授 石原あえか)
2011/07/01
石原あえか 商学部教授
ゲーテといえば、『若きウェルテルの悩み』、『ヴィルヘルム・マイスター』、『ファウスト』などの名作を送り出した文豪であり、詩人という理解が一般的です。しかし同時に、ヴァイマル公国の内閣総理大臣まで務めたエリート官僚であり、当時の最先端の自然科学の知識を積極的に吸収していました。石原教授は、ゲーテと自然科学の関係を研究して新たなゲーテ像を描き出し、ドイツでも高い評価を受けています。
※職名等は掲載当時のものです。
※職名等は掲載当時のものです。
石原 あえか(いしはら あえか)
1992年慶應義塾大学文学部独文学専攻卒業。1994年同大学院文学研究科修士課程修了。1998年ドイツのケルン大学で博士号を取得。1999年慶應義塾大学商学部専任講師、2002年助教授、2008年より教授。2005年ゲーテと近代自然科学をテーマにした一連の研究によりドイツ学術交流会からグリム兄弟奨励賞、また著作Goethes Buch der Natur(邦訳すると『ゲーテの《自然》という書物』)で2007年第3回日本学術振興会賞および日本学士院学術奨励賞を受賞。訳書にH. J. クロイツァー著『ファウスト 神話と音楽』(2007)、M. オステン著『ファウストとホムンクルス ゲーテと近代の悪魔的速度』(2009)などがある。2010年に出版した『科学する詩人ゲーテ』で第32回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)を受賞。
教養小説に興味を持ち、ゲーテを研究
ゲーテが好んだ保養地マリーエンバート(現チェコ)にある彼の銅像と
──ドイツ文学とゲーテを研究しようと考えるようになったのはなぜでしょうか。
日本の古典文学が好きだったので、高校の恩師から、慶應義塾大学の国文学を勧められました。けれども大学入学後、日吉でドイツ語に出会い、ドイツ文学を専攻しました。
ドイツ文学の中でも興味を持ったのが「教養小説」というジャンルでした。教養小説は、主人公が様々な体験を通じて自己を成長させていく物語で、その代表作として、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』とその続編『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』が挙げられます。でもゲーテの作品は、言い回しが古いところもあり、また正書法も異なるため、学部生では到底読めるものではありませんでした。そこで、卒論ではヘルマン・ヘッセの教養小説『ガラス玉演戯』を選びました。そしてその主人公「クネヒト(下僕)」と対になる「マイスター(親方)」という名を持つゲーテ作品の主人公を研究したいと思って、大学院に進みました。
──ゲーテと自然科学に注目したいきさつは。
博士課程でゲーテの研究を続けるにあたり、いわゆる解釈学的研究をするのはやめようと思いました。純粋な文学領域でのゲーテ研究は、もうやりつくされている感があって、オリジナリティーを出すのが難しい。なにしろゲーテの作品に関する参考文献だけで、図書館の棚の20メートルくらいを軽く占領してしまう世界です。
自然科学にはもともと興味を持っていました。高校生では地学部に所属し、毎日太陽黒点を観測したり、大学でも天文関係のサークルで、富士山五合目の駐車場で天体写真を撮影したりしていました。そんなこともあって、天文学とゲーテを結びつけた研究を考えたのです。
ゲーテは、詩人であるとともに、ヴァイマル公国の高級官吏であり、宰相も務めています。同時に熱心な自然研究者で、膨大な自然科学コレクションを収集・分析し、自然科学分野に関する論文も執筆しました。しかも新しく獲得した科学の知識を積極的に文学作品に反映させました。ゲーテの後期の作品『親和力』、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』、『ファウスト 第二部』などには、化学、医学、数学、天文学、鉱物学などの知識がふんだんに織り込まれていますから、当時の最先端の科学知識とゲーテとの関係に注目すれば、新しいテーマが見つかる、と思ったのです。
日本の古典文学が好きだったので、高校の恩師から、慶應義塾大学の国文学を勧められました。けれども大学入学後、日吉でドイツ語に出会い、ドイツ文学を専攻しました。
ドイツ文学の中でも興味を持ったのが「教養小説」というジャンルでした。教養小説は、主人公が様々な体験を通じて自己を成長させていく物語で、その代表作として、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの修業時代』とその続編『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』が挙げられます。でもゲーテの作品は、言い回しが古いところもあり、また正書法も異なるため、学部生では到底読めるものではありませんでした。そこで、卒論ではヘルマン・ヘッセの教養小説『ガラス玉演戯』を選びました。そしてその主人公「クネヒト(下僕)」と対になる「マイスター(親方)」という名を持つゲーテ作品の主人公を研究したいと思って、大学院に進みました。
──ゲーテと自然科学に注目したいきさつは。
博士課程でゲーテの研究を続けるにあたり、いわゆる解釈学的研究をするのはやめようと思いました。純粋な文学領域でのゲーテ研究は、もうやりつくされている感があって、オリジナリティーを出すのが難しい。なにしろゲーテの作品に関する参考文献だけで、図書館の棚の20メートルくらいを軽く占領してしまう世界です。
自然科学にはもともと興味を持っていました。高校生では地学部に所属し、毎日太陽黒点を観測したり、大学でも天文関係のサークルで、富士山五合目の駐車場で天体写真を撮影したりしていました。そんなこともあって、天文学とゲーテを結びつけた研究を考えたのです。
ゲーテは、詩人であるとともに、ヴァイマル公国の高級官吏であり、宰相も務めています。同時に熱心な自然研究者で、膨大な自然科学コレクションを収集・分析し、自然科学分野に関する論文も執筆しました。しかも新しく獲得した科学の知識を積極的に文学作品に反映させました。ゲーテの後期の作品『親和力』、『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』、『ファウスト 第二部』などには、化学、医学、数学、天文学、鉱物学などの知識がふんだんに織り込まれていますから、当時の最先端の科学知識とゲーテとの関係に注目すれば、新しいテーマが見つかる、と思ったのです。
博士論文を兼ねた最初の著書『マカーリエと宇宙』(左)と2冊目の『ゲーテの《自然》という書物』(右)
──博士課程ではどのような研究をされたのですか。
慶應義塾大学の大学院に在学中、ドイツのケルン大学に留学し、そこで本格的にゲーテと近代自然科学の関係についての研究に着手しました。
ゲーテが生きた18世紀から19世紀にかけての時代、天文学は従来の占星術とたもとを分かち、望遠鏡と数学を必須とする近代科学分野のひとつになっていました。『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』には、天文学と密接な結びつきを持つ老貴婦人マカーリエが登場しますが、従来のゲーテ研究では、当時の科学的背景を考慮せずに、彼女について神秘的な側面だけから解釈が行われていました。
けれども、私は占星術ではなく、むしろ近代天文学の側面から彼女を捉えてみようと考えました。Makarie und das Weltall (邦訳すると『マカーリエと宇宙』)は、ケルン大学に提出した学位論文を手直しして刊行した、私の最初のドイツ語による著作です。
慶應義塾大学の大学院に在学中、ドイツのケルン大学に留学し、そこで本格的にゲーテと近代自然科学の関係についての研究に着手しました。
ゲーテが生きた18世紀から19世紀にかけての時代、天文学は従来の占星術とたもとを分かち、望遠鏡と数学を必須とする近代科学分野のひとつになっていました。『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』には、天文学と密接な結びつきを持つ老貴婦人マカーリエが登場しますが、従来のゲーテ研究では、当時の科学的背景を考慮せずに、彼女について神秘的な側面だけから解釈が行われていました。
けれども、私は占星術ではなく、むしろ近代天文学の側面から彼女を捉えてみようと考えました。Makarie und das Weltall (邦訳すると『マカーリエと宇宙』)は、ケルン大学に提出した学位論文を手直しして刊行した、私の最初のドイツ語による著作です。
異文化のプラットフォームに立って書いた論文が評価された
グリム兄弟奨励賞の賞状
──本場ドイツで、ゲーテと科学をテーマにすることはどのような受け止められ方をしたのですか。
最初、ゲーテと近代天文学について論文を書きたいと指導教授のイルムシャー先生に相談したところ、「もしかすると面白いかもしれない。やってみなさい」、と励まされました。博士論文を書くために、ヴァイマルの研究図書館にもせっせと通いましたから、「日本から来た大学院生が朝から晩までゲーテと科学について資料を漁っているようだ」と噂になりました。
ちなみにドイツに留学してドイツ文学を学ぶ外国人は、母国でのゲーテ受容史や母国語の文学作品との比較研究などで学位を取ろうとする傾向が強いのですが、私は比較文化研究ではなく、ドイツの大学院生と同じ立場での研究を望みました。ですから、私の博士論文の審査を行った教授のひとりが「彼女は日本人であるにもかかわらず、異文化のプラットフォームに立って論文を書いた」と評価してくださったのは、とても嬉しかったです。
──博士論文の次にはどのような研究をされたのですか。
恩師イルムシャー先生から、博士論文の次の論文こそ大事だと諭されました。2005年に、博士論文では書ききれなかったゲーテと自然科学の六領域、地学・天文学・物理学・化学・植物学・動物学を対象に、『ゲーテの《自然》という書物』と題したドイツ語の学術書を発表しました。この著作でまずドイツ学術交流会から「グリム兄弟奨励賞」をいただいた時、ゲーテと近代自然科学をテーマにした研究をこのまま続けてよいのだ、という確信を抱きました。
最初、ゲーテと近代天文学について論文を書きたいと指導教授のイルムシャー先生に相談したところ、「もしかすると面白いかもしれない。やってみなさい」、と励まされました。博士論文を書くために、ヴァイマルの研究図書館にもせっせと通いましたから、「日本から来た大学院生が朝から晩までゲーテと科学について資料を漁っているようだ」と噂になりました。
ちなみにドイツに留学してドイツ文学を学ぶ外国人は、母国でのゲーテ受容史や母国語の文学作品との比較研究などで学位を取ろうとする傾向が強いのですが、私は比較文化研究ではなく、ドイツの大学院生と同じ立場での研究を望みました。ですから、私の博士論文の審査を行った教授のひとりが「彼女は日本人であるにもかかわらず、異文化のプラットフォームに立って論文を書いた」と評価してくださったのは、とても嬉しかったです。
──博士論文の次にはどのような研究をされたのですか。
恩師イルムシャー先生から、博士論文の次の論文こそ大事だと諭されました。2005年に、博士論文では書ききれなかったゲーテと自然科学の六領域、地学・天文学・物理学・化学・植物学・動物学を対象に、『ゲーテの《自然》という書物』と題したドイツ語の学術書を発表しました。この著作でまずドイツ学術交流会から「グリム兄弟奨励賞」をいただいた時、ゲーテと近代自然科学をテーマにした研究をこのまま続けてよいのだ、という確信を抱きました。
2011年夏に刊行されるドイツ語新著の表紙
──その後ゲーテと科学の研究をさらに進められていったわけですね。
はい、2009年には、ドイツ・フンボルト研究財団の奨学金を得て、ゲーテが大学監督官を務めたイェーナ大学を拠点に、ゲーテと当時の実用数学のひとつ、測量学との関係について集中的な研究を行いました。たとえばゲーテは、長編小説『親和力』で三角測量を実施する「大尉」を登場させています。これについては2010年春に刊行された『科学する詩人ゲーテ』第5章で、すでに言及していますが、この章をさらに拡大・充実させ、ゲーテの時代の三角測量を中心に、ヨーロッパと日本の近代三角測量の歴史について、この春、ドイツ語で3冊目になる学術書を書き上げました。まもなくドイツで刊行されます。
──ゲーテと科学を研究する魅力はどのようなところにあるのでしょうか。
ゲーテが生まれた頃は、自然科学の専門化が進んでいなかったので、ゲーテのような素人でも科学に参加できました。テレビもラジオもない時代ですから、文学が科学の宣伝媒体の役割を果たしていました。いわば、文学と科学の蜜月時代でした。
しかもこの時代は科学と女性が結びつきを深めた時代でもありました。天王星の発見で知られるウィリアム・ハーシェルの妹で、自らも複数の彗星を発見したキャロラインを筆頭に、少数ではあるけれど、女性天文学者も活躍していました。また、この頃、フランス思想家のフォントネルが啓蒙書『世界の複数性についての対話』を著し、ベストセラーとなってもいます。この本は、天文学者が、星空の下、フランス庭園を散策しながら、聡明な貴婦人を相手に、最新の天文学知識を六夜連続でレクチャーするという、チャーミングな科学の入門書です。フランス革命後、女性は家庭にとどまるべきという考え方が主流になり、女性に大学の門戸は閉じられてしまいましたが、この時代は一瞬とはいえ、女性と科学が急接近した時代でした。科学史のなかでも、とても面白い時代だと思います。
はい、2009年には、ドイツ・フンボルト研究財団の奨学金を得て、ゲーテが大学監督官を務めたイェーナ大学を拠点に、ゲーテと当時の実用数学のひとつ、測量学との関係について集中的な研究を行いました。たとえばゲーテは、長編小説『親和力』で三角測量を実施する「大尉」を登場させています。これについては2010年春に刊行された『科学する詩人ゲーテ』第5章で、すでに言及していますが、この章をさらに拡大・充実させ、ゲーテの時代の三角測量を中心に、ヨーロッパと日本の近代三角測量の歴史について、この春、ドイツ語で3冊目になる学術書を書き上げました。まもなくドイツで刊行されます。
──ゲーテと科学を研究する魅力はどのようなところにあるのでしょうか。
ゲーテが生まれた頃は、自然科学の専門化が進んでいなかったので、ゲーテのような素人でも科学に参加できました。テレビもラジオもない時代ですから、文学が科学の宣伝媒体の役割を果たしていました。いわば、文学と科学の蜜月時代でした。
しかもこの時代は科学と女性が結びつきを深めた時代でもありました。天王星の発見で知られるウィリアム・ハーシェルの妹で、自らも複数の彗星を発見したキャロラインを筆頭に、少数ではあるけれど、女性天文学者も活躍していました。また、この頃、フランス思想家のフォントネルが啓蒙書『世界の複数性についての対話』を著し、ベストセラーとなってもいます。この本は、天文学者が、星空の下、フランス庭園を散策しながら、聡明な貴婦人を相手に、最新の天文学知識を六夜連続でレクチャーするという、チャーミングな科学の入門書です。フランス革命後、女性は家庭にとどまるべきという考え方が主流になり、女性に大学の門戸は閉じられてしまいましたが、この時代は一瞬とはいえ、女性と科学が急接近した時代でした。科学史のなかでも、とても面白い時代だと思います。
日独医学交流について幅広く書いてみたい
──これからの研究についてお聞かせください。
先ほど申し上げましたように、比較文化論的研究は意識的に避けてきたのですが、ある程度今までの仕事が評価されたこともあって、これからはドイツと日本の関わり合いについても積極的に書きたいと思っています。
とくに明治時代の日独医学交流は魅力的なテーマです。たとえば、ドイツに最初に留学した明治の女医・高橋瑞子(みずこ)は研究対象として実に魅力的です。彼女は、医学の私立予備校である済生学舎の門前で、女性の入学を認めさせるべく、3日3晩ハンストしたというエピソードの持ち主です。医師になった後も、専門の産婦人科の勉強をしたいとベルリンに行き、日本びいきの下宿のおばさんに応援してもらって、当時女性の入学を一切認めていなかったベルリン大学の聴講生にもなった、エネルギッシュな女性でした。
──こうした先駆的な女性が明治時代には他にもいたのですか。
はい、北里柴三郎の弟子でドイツのマールブルクに留学した宇良田唯(うらた ただ)は、日本女性のみならず、ドイツ人も含めてマールブルク大学で医学博士号を取得した最初の女性です。また高橋瑞子の済生学舎での後輩にあたる吉岡弥生は、女性だけの医学校を設立したいと、夫の荒太と協力して東京女子医科大学の前身、東京女医学校を開校しました。その東京女子医科大学には、高橋瑞子が医学教育のために使ってほしいと遺言した彼女自身の骨格標本があり、先日、特別に許可をいただいて、対面が叶いました。同時に、彼女たちをサポートした多くの人々の存在も興味深いです。
この日独医学交流に関しては、書きたいことがたくさんあるので、目下、次の著作として準備中です。
先ほど申し上げましたように、比較文化論的研究は意識的に避けてきたのですが、ある程度今までの仕事が評価されたこともあって、これからはドイツと日本の関わり合いについても積極的に書きたいと思っています。
とくに明治時代の日独医学交流は魅力的なテーマです。たとえば、ドイツに最初に留学した明治の女医・高橋瑞子(みずこ)は研究対象として実に魅力的です。彼女は、医学の私立予備校である済生学舎の門前で、女性の入学を認めさせるべく、3日3晩ハンストしたというエピソードの持ち主です。医師になった後も、専門の産婦人科の勉強をしたいとベルリンに行き、日本びいきの下宿のおばさんに応援してもらって、当時女性の入学を一切認めていなかったベルリン大学の聴講生にもなった、エネルギッシュな女性でした。
──こうした先駆的な女性が明治時代には他にもいたのですか。
はい、北里柴三郎の弟子でドイツのマールブルクに留学した宇良田唯(うらた ただ)は、日本女性のみならず、ドイツ人も含めてマールブルク大学で医学博士号を取得した最初の女性です。また高橋瑞子の済生学舎での後輩にあたる吉岡弥生は、女性だけの医学校を設立したいと、夫の荒太と協力して東京女子医科大学の前身、東京女医学校を開校しました。その東京女子医科大学には、高橋瑞子が医学教育のために使ってほしいと遺言した彼女自身の骨格標本があり、先日、特別に許可をいただいて、対面が叶いました。同時に、彼女たちをサポートした多くの人々の存在も興味深いです。
この日独医学交流に関しては、書きたいことがたくさんあるので、目下、次の著作として準備中です。
一昨年、研究拠点としたイェーナ大学ドイツ文学研究所は、フーフェラントのかつての住まいだった
──こうした研究はゲーテとどのような関係があるのでしょうか。
たとえばゲーテは、近代医学とも縁があります。皆さんよくご存じの適塾を開き、日本の近代化に大きな影響を与えた緒方洪庵は、ドイツ人医師フーフェラントの著作『扶氏(=フーフェラント)経験遺訓』の翻訳をライフワークとしました。実はこのフーフェラントはゲーテの主治医だったのです。彼の初期著作に『長寿学』がありますが、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』における挿話『五十歳の男』で若返りを話題にするなど、フーフェラントの影響が認められます。適塾に通ったひとりが福澤諭吉であることを考えると、ゲーテと慶應義塾も不思議な縁で結ばれている気がします。
──最後にゲーテの現代における意味についてお聞かせください。
ゲーテの『魔法使いの弟子』は、弟子が師匠の真似をして呪文を唱え、箒に水汲みをさせますが、肝心の水汲みを止める呪文を忘れ、水浸しになり、師匠に頼んで止めてもらう、という物語詩です。この詩は、素人と玄人の違いをテーマにしていると解釈される一方、これまでにも環境問題など、いろいろな社会的テーマとの関連で引用されてきました。最近では東日本大震災の原子力発電所の事故も連想させるでしょう。日本ではゲーテの格言などに人気がありますが、ドイツではゲーテの詩や小説は、現代社会の問題が議論される時によく引き合いに出されます。現代の私たちにとっても、さまざまな読み方ができるのが、ゲーテ作品の醍醐味だと思います。
たとえばゲーテは、近代医学とも縁があります。皆さんよくご存じの適塾を開き、日本の近代化に大きな影響を与えた緒方洪庵は、ドイツ人医師フーフェラントの著作『扶氏(=フーフェラント)経験遺訓』の翻訳をライフワークとしました。実はこのフーフェラントはゲーテの主治医だったのです。彼の初期著作に『長寿学』がありますが、ゲーテの『ヴィルヘルム・マイスターの遍歴時代』における挿話『五十歳の男』で若返りを話題にするなど、フーフェラントの影響が認められます。適塾に通ったひとりが福澤諭吉であることを考えると、ゲーテと慶應義塾も不思議な縁で結ばれている気がします。
──最後にゲーテの現代における意味についてお聞かせください。
ゲーテの『魔法使いの弟子』は、弟子が師匠の真似をして呪文を唱え、箒に水汲みをさせますが、肝心の水汲みを止める呪文を忘れ、水浸しになり、師匠に頼んで止めてもらう、という物語詩です。この詩は、素人と玄人の違いをテーマにしていると解釈される一方、これまでにも環境問題など、いろいろな社会的テーマとの関連で引用されてきました。最近では東日本大震災の原子力発電所の事故も連想させるでしょう。日本ではゲーテの格言などに人気がありますが、ドイツではゲーテの詩や小説は、現代社会の問題が議論される時によく引き合いに出されます。現代の私たちにとっても、さまざまな読み方ができるのが、ゲーテ作品の醍醐味だと思います。
























