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[研究最前線] 「ヴォイニッチ写本」~謎の文書の解読可能性を探る~(文学部助教 安形麻理)

2010/10/08
安形 麻理 文学部助教
意味のある文章か、あるいは暗号か、それとも単なるでたらめなのか、研究者の間でも論議を呼んだ写本があります。20世紀前半に発見された「ヴォイニッチ写本」。安形助教らは、この写本がそもそも意味がある文書なのかどうかを、デジタル書誌学と情報検索からのアプローチで明らかにする手法を示しました。

※職名等は掲載当時のものです。

安形 麻理(あがた まり)

安形 麻里 文学部助教
1999年慶應義塾大学文学部 図書館・情報学科卒。2001年慶應義塾大学大学院 文学研究科修士課程 図書館・情報学専攻修了。2003年ロンドン大学 修士課程修了。2005年慶應義塾大学 大学院文学研究科博士課程 図書館・情報学専攻単位取得退学。2006年4月より文学部助手。博士(図書館・情報学)。学部在学中より稀覯書のデジタル化に携わり、書誌学と書物のデジタル化、情報化に関心を持ち、書誌学の新しい可能性を模索している。「グーテンベルク聖書と写本の伝統」「 デジタル画像を用いた刊本の校合の手法」など論文多数。『デジタル書物学事始め:グーテンベルク聖書とその周辺』の著書がある。

未知の言語か暗号か、でたらめか、謎の中世写本「ヴォイニッチ写本」

ヴォイニッチ写本
Beinecke Rare Book and Manuscript Library, Yale University
ヴォイニッチ写本
──「ヴォイニッチ写本」とはどのようなものですか?

「ヴォイニッチ写本」とは、1912年にアメリカの古書収集家ウィルフリド・ヴォイニッチが、イタリア・ローマにほど近いイエズス会の僧院で発見したとされる102葉の羊皮紙からなる写本のことで、写本の名前は発見者にちなんでつけられています。16世紀の中央ヨーロッパで作られたと推定されているその写本の文字は、これまで見たこともないものであり、大部分のページに素朴かつ奇妙な植物や人体などの挿図がついています。
(1)未知の言語あるいは人工言語、(2)暗号文書、(3)意味をなさないでたらめ(「捏造文書」)の大きく3つの見解に分かれ真贋論争が繰り広げられてきました。幾多の解読の試みにもかかわらず未解読のままで、いまも「世界で最も謎に満ちた写本」としてイエール大学のバイネッケ図書館に所蔵されています。

──この写本を研究されるようになった動機はなんでしょうか。

学部学生のとき、慶應義塾による「グーテンベルク聖書」の購入をきっかけとして、稀覯書をデジタル化する「HUMIプロジェクト」が発足し、そこにアルバイトで参加させてもらいました。歴史的な価値の高い古い書物は、破損の危険性が大きいため自由に手にとって研究することがなかなか難しいのですが、高精細なデジタル画像として蓄積することで、新しい研究の可能性を開こうとするプロジェクトです。私が担当したのは、書物を傷つけないように、湾曲したページ面をなるべく平面に近づけて撮影する際のお手伝いなどだったのですが、このプロジェクトに参加させていただいたことをきっかけに、コンピュータやデジタル技術とは対極にある古い書物に対してデジタル技術を用いることの面白さに気づき、「デジタル書誌学」にすっかり惹きつけられ、研究を進めてきました。
そうした折に「ヴォイニッチ写本」を共同研究しようという話を持ちかけられたのが始まりでした。その後、2004年に発表されたキール大学のゴードン・ラグによる「ヴォイニッチ写本」を「捏造」とする研究に疑問を持ち、他の方法で実証できないか、情報検索技術とデジタル書誌学からのアプローチでできることがあるのではないかと考えたことが今回の研究成果につながる大きなきっかけとなりました。

一貫性を持った構造のある文書で、「捏造文書」ではないと解析

ヴォイニッチ写本
Beinecke Rare Book and Manuscript Library, Yale University
ヴォイニッチ写本
──「ヴォイニッチ写本」の研究はどのように進められていったのでしょう。

まず、この写本についての文献を集めることから手をつけました。この写本についてはCIA(米国中央情報局)をはじめ暗号の専門家が解読を手がけるなど本格的な研究も行われていましたが、素人が趣味の範囲で解読しようとしたものも多く、文献を集めてみると、文字を扱ううえで基本的な情報検索の技術を使った研究が手つかずであるなど、まだ研究の余地が残されていることがわかってきました。
ただ、私たちは共同研究を通じて、「ヴォイニッチ写本」の解読を目指したわけではありません。この写本がまったくの「捏造文書」でそもそも解読の試みが無意味であるのか、それとも正しい手がかりがあれば解読が可能な真正文書なのか、これを明らかにしようとしたのです。つまり、未解読文書はこの写本以外にも数多くありますが、それらの未解読文書が解読の努力を傾注するに値するかどうかを最初の段階でわかるような手法を出せたらいいと思ったわけです。

──具体的にはどのような研究方法でアプローチしたのですか。

私たちの研究では、各ページを部分文書として比較して、どのページとどのページが近い関係にあるかをクラスタリング手法(*1)を用いて判定し、テキストに文書構造があるかどうかを検証しました。わかりやすくいえば、あるページに出てくる単語の頻度が別のページに出てくる単語の頻度と同じ傾向にあれば、その2つのページは近いといえます。また、この写本には植物や天文、薬草、十二宮図などの挿図が多数ありますが、その挿図ごとの分類とテキストのクラスターに一致点を見いだせるのかどうかを調べました。自然言語もエスペラントのような人工言語もいずれも文書構造を持っていますから、ヴォイニッチ写本がこうした文書構造を持っていれば、自然言語か人工言語かの区別はできなくても、「捏造文書」ではないということが証明できるのです。
研究のなかで一番苦労したのは、類似の例がない手法であるため、この手法の妥当性をどのように検証するか、という点です。最終的には、無作為に作られた「捏造文書」と、ヴォイニッチ写本と同時期の科学についての写本で文字データが利用可能な真正文書を探し、比較実験を行うことで、「捏造文書」の判定が可能であることを示しました。

*1クラスタリング手法
異質なものが混ざり合っている対象の中で、互いに似たものを集めてクラスター(ブドウの房のような集まり)をつくり、対象を分類する手法をいう。
ヴォイニッチ写本
Beinecke Rare Book and Manuscript Library, Yale University
ヴォイニッチ写本
──研究の結果、「ヴォイニッチ写本」はどんな写本だとわかったのですか。

「ヴォイニッチ写本」のページ同士には挿図によるセクション分けに対応する形で一定のまとまりがあり、近いページの本文同士の方が離れたページの本文同士よりも類似性が高いことなどが確認されました。このことから、「ヴォイニッチ写本」は一貫性のある構造を持った文書で、でたらめな「捏造文書」ではないと考えられます。趣味レベルから本格的な研究まで幅広い論が展開されていた「ヴォイニッチ写本」ですが、今回の研究により、学術的な研究に値する文書であると示すことができたと思います。
「ヴォイニッチ写本」の内容解読に魅力を感じないわけではありませんが、私たちの研究の手法を未解読文書の解読可能性の判断に応用できることが最大の収穫だと考えています。

デジタル化で広がる書誌学の未来

グーテンベルク聖書
グーテンベルク聖書
──これからどんな研究をしていきたいと考えていますか。

「HUMIプロジェクト」に参加して以来、ずっとデジタル画像による「グーテンベルク聖書」の研究を続けてきました。「グーテンベルク聖書」は、15世紀の半ばに世界で初めて活版印刷で印刷された書物で、慶應義塾でも1部を所蔵しています。活版印刷は中世の3大発明といわれている割には、記録がほとんど残っておらず、成立事情などあまり詳しいことはわかっていません。たとえば、どんな経歴のどんな職人がどんな手順で印刷したのか、彼らのリテラシー(読み書き能力)はどれくらいだったかなど、ほとんどわかっていないのです。
デジタル画像を使って比較を行うことで、これまでは同一だと考えられていた現存本の間に細かな差異がたくさんあることがわかり、印刷工程を推測する新たな手がかりを得ることができました。比較結果からは、どんな印刷職人がどのような印刷ミスをどのくらい訂正していったのかなど、研究をさらに進めることができます。そこでいま、「グーテンベルク聖書」の詳細な文字データを作成する作業に取りかかっています。こうした画像や文字のデジタルデータが進むと、これまで技術的・時間的に不可能だった比較研究ができるようになります。といっても、1ページに3000文字、それが上巻648ページ、下巻638ページもありますから、気の遠くなるような作業なのですが(笑)。
安形 麻里 文学部助教
──稀覯書のデジタル化は書誌学にどのように役立っていますか。

21世紀に入って書物のデジタルデータ化がいろいろなところで行われてきて、データ自体は比較的容易に入手できるようになりました。パソコンの性能も向上したため、大規模なプロジェクトによる研究はもちろんのこと、個人研究のレベルでも、新しい取り組みが可能になっています。たとえば、グーテンベルクが印刷した別の本のデジタル画像の中の「i」という文字をクラスタリングして分析し、その活字はこれまで信じられてきたように同じ金属製の母型から大量に造られたのではなく、一度しか使えない多くの活字母型から造られたのだというセンセーショナルな仮説を発表したアメリカの研究者たちもいます。デジタル化によって検索や照合が容易になるのはもちろん、これまでは不可能だった多彩な方法論で、さまざまな視点から書物の研究を進めることができ、研究の可能性が広がると期待しています。
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