メインカラムの始まり
[研究最前線] ユニバーサルデザイン研究~知覚心理学を通じたバリアフリー社会の実現に向けて~(経済学部教授/自然科学研究教育センター副所長 中野泰志)
2010/04/01
中野 泰志 経済学部教授/自然科学研究教育センター副所長
近年、文化・言語・国籍の違い、老若男女といった差異、障害の有無にかかわらず、誰もが利用できる施設・製品・情報の設計などを行うユニバーサルデザイン(UD)が注目されています。知覚心理学の研究を活かしてロービジョン(弱視)の人たちのための教科書づくりや、バリアフリーな社会空間の構築など多彩な研究に取り組んでいる中野泰志教授と新井哲也助教にお話をうかがいました。
※職名等は掲載当時のものです。
※職名等は掲載当時のものです。
中野 泰志(なかの やすし)
1984年東京国際大学教養学部人間関係学科卒業。1988年慶應義塾大学大学院社会学研究科修士課程修了。同年国立特殊教育総合研究所視覚障害教育研究部研究員、1996年同主任研究官。1997年慶應義塾大学経済学部助教授、2003年同教授、同年東京大学先端科学技術研究センターバリアフリープロジェクト特任教授に転籍。2006年慶應義塾大学経済学部教授に復籍。
専門の知覚心理学を背景に、障害者や高齢者のQOL(生活の質)を保障する支援技術や教育、社会システムの提案を行っている。
専門の知覚心理学を背景に、障害者や高齢者のQOL(生活の質)を保障する支援技術や教育、社会システムの提案を行っている。
視覚障害のある子どもたちへの教育支援が出発点
ロービジョンの人の見え方を再現するために特殊なすりガラスを使った低視力シミュレータを開発。複数のデザイナーがこれを使ってユニバーサルデザインを討議することも。
──ユニバーサルデザインに関心を持たれたのはいつからなのでしょうか。
私の研究の出発点は、人間が五感を通して世界を認識するメカニズムを実験心理学の手法で明らかにしたいと考えたところにあります。
ユニバーサルデザインやバリアフリーについては、大学院を出て国立特殊教育総合研究所の研究員として、実際に視覚障害を持った子どもたちに対する教育支援に携わることになったことから、身近な問題として取り組み始めました。健常者は、自分を取り巻く世界の豊富な情報をそのまま受け取ることができますが、障害者や高齢者は、受け取れる情報の質や量が健常者に比べて少なくなってしまいます。どのような情報や教育、支援ツールなどを提供すれば、彼らが適切に世界を認識し、生活の質を保つことができるのかを探求していくことは、知覚心理学の重要な課題のひとつなのです。
私の研究の出発点は、人間が五感を通して世界を認識するメカニズムを実験心理学の手法で明らかにしたいと考えたところにあります。
ユニバーサルデザインやバリアフリーについては、大学院を出て国立特殊教育総合研究所の研究員として、実際に視覚障害を持った子どもたちに対する教育支援に携わることになったことから、身近な問題として取り組み始めました。健常者は、自分を取り巻く世界の豊富な情報をそのまま受け取ることができますが、障害者や高齢者は、受け取れる情報の質や量が健常者に比べて少なくなってしまいます。どのような情報や教育、支援ツールなどを提供すれば、彼らが適切に世界を認識し、生活の質を保つことができるのかを探求していくことは、知覚心理学の重要な課題のひとつなのです。
──視覚障害といっても障害の程度や状態はさまざまですね。
これまでは、ロービジョン(弱視)の人に対しても点字で読むことが勧められてきましたが、現在はある程度見える場合、点字ではなく、文字によって情報を伝えることが望ましいというように変わってきています。そして、ロービジョンの人の状態によって、どのような条件や環境を提供すればよいかを正しく評価し、それぞれの見え方に応じた教育方法を提供することが大切です。
文字をただ拡大すればよいというものではないのです。たとえば、網膜色素変性症※の場合は、拡大すると周辺が見えにくくなって逆効果になるということもあります。また、健常者にとってちょうど見やすい反射率の白い紙が、ロービジョンの人にとっては眩しくて見づらいこともあります。どんな反射率の紙を使い、どんな黒さのインクを利用すれば見やすいのかなど、それぞれの症状の違いに応じた対応策を探求してきました。
特に重要なのはロービジョンの子どもたちが、社会に出てから「こういう条件のときに見えにくいから、このようにしてほしい」と自分で第三者に伝えられるようにすることです。そのための条件を客観的に評価する方法も同時に開発しています。
※網膜に異常をきたす遺伝性、進行性の病気。暗いところで物が見えにくくなったり、視野が狭くなったりするような症状が最初に起こり、病気の進行とともに視力が低下していく。
これまでは、ロービジョン(弱視)の人に対しても点字で読むことが勧められてきましたが、現在はある程度見える場合、点字ではなく、文字によって情報を伝えることが望ましいというように変わってきています。そして、ロービジョンの人の状態によって、どのような条件や環境を提供すればよいかを正しく評価し、それぞれの見え方に応じた教育方法を提供することが大切です。
文字をただ拡大すればよいというものではないのです。たとえば、網膜色素変性症※の場合は、拡大すると周辺が見えにくくなって逆効果になるということもあります。また、健常者にとってちょうど見やすい反射率の白い紙が、ロービジョンの人にとっては眩しくて見づらいこともあります。どんな反射率の紙を使い、どんな黒さのインクを利用すれば見やすいのかなど、それぞれの症状の違いに応じた対応策を探求してきました。
特に重要なのはロービジョンの子どもたちが、社会に出てから「こういう条件のときに見えにくいから、このようにしてほしい」と自分で第三者に伝えられるようにすることです。そのための条件を客観的に評価する方法も同時に開発しています。
※網膜に異常をきたす遺伝性、進行性の病気。暗いところで物が見えにくくなったり、視野が狭くなったりするような症状が最初に起こり、病気の進行とともに視力が低下していく。
白い部分の面積が大きいと、ロービジョンの人にとって文字が読みにくい場合がある。白黒反転や周辺を黒く覆うことで読みやすくなる。
生活の質を保障するユニバーサルデザインへ
一般に使われている教科書をそのまま拡大した場合、判型がどんどん大きくなり、大きすぎると使いづらい。そこでレイアウト変更した場合はどうか? 全国の学校を回り調査したという。
──いま、取り組まれているユニバーサルデザイン研究についてお聞かせください。
障害のある児童や生徒が教科書を利用できるようにすることを目的に、2008年に「教科書バリアフリー法」が成立しました。私たちは学校、教科書出版社、印刷会社、デザイナーなどと協力して、さまざまな視覚障害に対応した教科書づくりを進めています。
普通に使われている教科書を原本として、単純に文字(ポイント)を拡大したもの、行間や脚注の位置を動かしてレイアウト変更したものなどのサンプルを用意し、全国の学校を回ってロービジョンの子どもたちがどんな教科書なら使いやすいかを調査しました。指示したページを開いて、正しく読めるか、書き写しができるか、どれくらいの時間がかかるかなどを基準として評価していったのです。
こうした教科書の見直しを行うことによって、子どもたちが自分に合った教科書を選択できるようになればと考えています。学校、出版社などとも協力し、今年中には成果をまとめる予定です。
障害のある児童や生徒が教科書を利用できるようにすることを目的に、2008年に「教科書バリアフリー法」が成立しました。私たちは学校、教科書出版社、印刷会社、デザイナーなどと協力して、さまざまな視覚障害に対応した教科書づくりを進めています。
普通に使われている教科書を原本として、単純に文字(ポイント)を拡大したもの、行間や脚注の位置を動かしてレイアウト変更したものなどのサンプルを用意し、全国の学校を回ってロービジョンの子どもたちがどんな教科書なら使いやすいかを調査しました。指示したページを開いて、正しく読めるか、書き写しができるか、どれくらいの時間がかかるかなどを基準として評価していったのです。
こうした教科書の見直しを行うことによって、子どもたちが自分に合った教科書を選択できるようになればと考えています。学校、出版社などとも協力し、今年中には成果をまとめる予定です。
左:教科書体 右:丸ゴシック体
「6」の数字はロービジョンの人にとっては「8」だけでなく、「4」とも間違いやすいという実験結果に。字体を変えることによって見分けやすくする。
──文字の形(フォント)も、読みやすさに関係しますか。
教科書に使われているフォントには「教科書体」という文字が使われています。教科書体など明朝系の文字は、横棒が細いため、ゴシック体などのほうが読みやすいことも多いのですが、たとえば、教科書体と一般の明朝体、ゴシック体では、「ふ」や「ら」「り」など文字の一部をつなげる/つなげない、「は」「ほ」などをはねる/はねないなど、文字の細部の形が異なっています。発達障害を持った子どもの場合など、同じ文字と認識しないケースがあるため、教科書体をベースにしながらより判別がしやすく、読みやすいフォントの開発も進めています。
教科書に限らず、街のサイン、広告、公共の場所の案内などに使われている文字は、視覚障害者や高齢者にとって必ずしも見やすいとはいえません。わが国は高齢化が進み、だれもが読みやすい文字の必要性がさらに高まっています。そこで、フォント制作会社、広告会社と共同で新しいユニバーサルデザインのフォントを開発し、2009年に「つたわるフォント」として発表しました。
教科書に使われているフォントには「教科書体」という文字が使われています。教科書体など明朝系の文字は、横棒が細いため、ゴシック体などのほうが読みやすいことも多いのですが、たとえば、教科書体と一般の明朝体、ゴシック体では、「ふ」や「ら」「り」など文字の一部をつなげる/つなげない、「は」「ほ」などをはねる/はねないなど、文字の細部の形が異なっています。発達障害を持った子どもの場合など、同じ文字と認識しないケースがあるため、教科書体をベースにしながらより判別がしやすく、読みやすいフォントの開発も進めています。
教科書に限らず、街のサイン、広告、公共の場所の案内などに使われている文字は、視覚障害者や高齢者にとって必ずしも見やすいとはいえません。わが国は高齢化が進み、だれもが読みやすい文字の必要性がさらに高まっています。そこで、フォント制作会社、広告会社と共同で新しいユニバーサルデザインのフォントを開発し、2009年に「つたわるフォント」として発表しました。
共同研究を行っている新井哲也助教:フォントの研究やエスカレーター事故防止についての研究を中心となって進めた。
──ほかには、どんなことに取り組んでいらっしゃるのですか。
住みやすいまちづくりを進めるために、国土交通省などの官公庁や自治体、企業などと連携して、さまざまな施設や設備、サインなどの使いやすさの評価を行っています。たとえば、駅の階段でどんな視覚情報があればつまずいたり足を踏み外したりする事故が減るのか、ロービジョンの人がエスカレーターの昇り降りを認識するために、どんな改善をすれば効果があるのかを探りました。
また、エンジン音の静かなハイブリッドカーを多くの視覚障害者が気付きにくい、という研究結果が、事故を防ぐために発進時や低速時に人口音を出す、という業界の対策につながりました。
最近は家電製品に液晶パネルが搭載されるケースが増えてきましたが、点字が表示されないため、視覚障害者にとっては高機能化の恩恵が受けられません。こうした不便さを取り除くため、電機メーカー、研究機関などと共同で、電流が通ると曲がるカーボンナノチューブを利用して、点字が浮き出るシステムを開発しました。私たちはその評価技術を担当しています。
住みやすいまちづくりを進めるために、国土交通省などの官公庁や自治体、企業などと連携して、さまざまな施設や設備、サインなどの使いやすさの評価を行っています。たとえば、駅の階段でどんな視覚情報があればつまずいたり足を踏み外したりする事故が減るのか、ロービジョンの人がエスカレーターの昇り降りを認識するために、どんな改善をすれば効果があるのかを探りました。
また、エンジン音の静かなハイブリッドカーを多くの視覚障害者が気付きにくい、という研究結果が、事故を防ぐために発進時や低速時に人口音を出す、という業界の対策につながりました。
最近は家電製品に液晶パネルが搭載されるケースが増えてきましたが、点字が表示されないため、視覚障害者にとっては高機能化の恩恵が受けられません。こうした不便さを取り除くため、電機メーカー、研究機関などと共同で、電流が通ると曲がるカーボンナノチューブを利用して、点字が浮き出るシステムを開発しました。私たちはその評価技術を担当しています。
障害者や高齢者の支援を通じて「人間」を理解する
──障害者の生活の質を支える動きは始まったばかりですね。
日本では障害の重さを、身体機能の問題と捉えています。視覚障害についていえば、全盲が最も障害の程度が重く、視力が上がるほど障害が軽いとする、「医療モデル」で障害の重さを考えるわけです。しかし、全盲でも点字で自由に読める人と、高齢になってロービジョンとなり、点字も読めず、文字の情報もまったく入ってこない状態になった人、どちらの方が社会から阻害されてしまうでしょう?生活や学習面でのバリア(不便さ)の感じ方、つまり「社会モデル」で障害の重さを考えることが大切だと思います。
日本で社会モデルによる障害の認識が進んでいないのは、生活の不便さを評価する客観的な評価方法が確立されていないからです。私たちは、そのための評価基準を開発したいと考えています。また、そのバリアを取り除き、社会参加を促進するための製品・環境の実現化を、他方面とのコラボレーションにより進めていくつもりです。一足飛びにユニバーサルデザインが100%行き渡った社会にはなりませんが、当事者が参加することによって、少しずつでもスパイラルアップしていき、一歩でも二歩でも不便さが解消されればと取り組んでいます。
──慶應義塾内での研究・教育の連携についてはいかがでしょう。
2009年度から開講した大学院社会学研究科、文学研究科の共通科目「プロジェクトII(実践BF/UD学)」は、精神障害や高齢者問題などを専門とする心理学系の教員や、ITによる支援技術を専門とするSFCの教員と共同で担当し、マルチキャンパス、領域横断的な科目として位置付けています。実際に、ユニバーサルデザインに取り組んでいる企業の研究所などを大学院生と訪問し、研究が現実にどう応用できるかを一緒に考察しています。
ユニバーサルデザインについて総合的に研究していくためには心理学だけでなく、経済学、社会政策、情報技術、工学などの研究者と手を組んで取り組むことが必要でしょう。そうした研究から、新しい領域のノウハウを蓄積し、その成果を社会に還元することが総合大学である慶應義塾の使命ではないかと考えています。
今後ユニバーサルデザインや障害者、高齢者の社会参加の問題は、世界共通のテーマとなるはずです。慶應義塾の若い研究者が早くからこの分野の研究に参加してくれることを期待しています。
私も、ユニバーサルデザインの研究を通して、人が行動するためにはどのような情報が必要で、どのように世界を認識していくかを解き明かし、「人間」を理解するというそもそもの使命を、今後も追及していきたいと思います。
日本では障害の重さを、身体機能の問題と捉えています。視覚障害についていえば、全盲が最も障害の程度が重く、視力が上がるほど障害が軽いとする、「医療モデル」で障害の重さを考えるわけです。しかし、全盲でも点字で自由に読める人と、高齢になってロービジョンとなり、点字も読めず、文字の情報もまったく入ってこない状態になった人、どちらの方が社会から阻害されてしまうでしょう?生活や学習面でのバリア(不便さ)の感じ方、つまり「社会モデル」で障害の重さを考えることが大切だと思います。
日本で社会モデルによる障害の認識が進んでいないのは、生活の不便さを評価する客観的な評価方法が確立されていないからです。私たちは、そのための評価基準を開発したいと考えています。また、そのバリアを取り除き、社会参加を促進するための製品・環境の実現化を、他方面とのコラボレーションにより進めていくつもりです。一足飛びにユニバーサルデザインが100%行き渡った社会にはなりませんが、当事者が参加することによって、少しずつでもスパイラルアップしていき、一歩でも二歩でも不便さが解消されればと取り組んでいます。
──慶應義塾内での研究・教育の連携についてはいかがでしょう。
2009年度から開講した大学院社会学研究科、文学研究科の共通科目「プロジェクトII(実践BF/UD学)」は、精神障害や高齢者問題などを専門とする心理学系の教員や、ITによる支援技術を専門とするSFCの教員と共同で担当し、マルチキャンパス、領域横断的な科目として位置付けています。実際に、ユニバーサルデザインに取り組んでいる企業の研究所などを大学院生と訪問し、研究が現実にどう応用できるかを一緒に考察しています。
ユニバーサルデザインについて総合的に研究していくためには心理学だけでなく、経済学、社会政策、情報技術、工学などの研究者と手を組んで取り組むことが必要でしょう。そうした研究から、新しい領域のノウハウを蓄積し、その成果を社会に還元することが総合大学である慶應義塾の使命ではないかと考えています。
今後ユニバーサルデザインや障害者、高齢者の社会参加の問題は、世界共通のテーマとなるはずです。慶應義塾の若い研究者が早くからこの分野の研究に参加してくれることを期待しています。
私も、ユニバーサルデザインの研究を通して、人が行動するためにはどのような情報が必要で、どのように世界を認識していくかを解き明かし、「人間」を理解するというそもそもの使命を、今後も追及していきたいと思います。
























